教科担任制より、得意担任制の方がいいんじゃない?
夕方のニュース番組で教科担任制のことが特集されていました。
「教員の負担軽減」をねらっているとのことだけど、「教科担任制って負担軽減になるのかしら?」思いました。
数年前に6年生を担任していた時に、体育、図工、音楽を各担任でまわしてみてたことがありましたが、よかったところもあれば、大変だなと思うこともありました。総じて負担減だったとは思いません。むしろ、いろいろあって帰るのがとても遅くなったような・・・。
それよりも各先生たちの得意分野を生かして、一部の授業をお願いしたりとか、合同でしたりとかした方がメリット多いと思うんですけどね。というか、そんなのはマネジメントがちゃんとできていれば、どこだってやってるし、やれることだとは思うんだけど。で、私は明日、総合の授業を学年合同でやります。他の先生たちの負担ゼロ。私は研究が楽しい。WIN-WIN
一斉に戻す
ちょっと一斉授業に戻そうとしています。
理由は子どもたちに任せたことが、私の求めるレベルに2割がついてきていないと判断したからです。
結果的に進度が遅れています。私の見誤りです。
最近は、一斉をやることにはあまり抵抗はありません
自分が育てたい子ども像が明確になってきたからだと思います。
だから自分がやっていることは、『学び合い』という看板ではくくられなくてもよくなってきています。
ただ、その他の場面、授業で『学び合い』の考え方を語っている以上、私は『学び合い』実践していると言えるでしょう。
「一人も見捨てない」という願いは弱いんですけどね。先輩と比べて。
体調が悪くて
先週は眼科にいったり、胃腸科にいったりと病院づけ。
たまたまいつも行っている病院が休診だったりして、別の病院にいくことにした。
当たり前といえば当たり前なんだけど、お医者さんによって診療の仕方が若干ちがう。
特に説明の仕方とか。
個人的には人がすくない病院が好き。
待つ時間も少ないというのもだけど、じっくり説明をしてくれる印象がある。
設備がぱっとみて古そうでも丁寧に診察してくれるところもあるし、外見だけで中は充実していたりする。
病院は選べるのに、学校は選べないなんてなんかやっぱりおかしいのかな、とか思ったけれど
まずは自分の体調なんとかすることだな、と反省してよく寝ることにした。
来週は元気にがんばろう。
『学び合い』の広がり②
前回の記事で「広がることに弊害があるし、難しい」と書きました。
それについて今回は書きたいと思います。
『学び合い』を実践して今年で7年目。
5、6、3、6、1、2、5 と小学校の色々な学年で取り組んできました。
満遍なく色々な学年で実践したことがある、色々な子どもたち、クラスで実践したことがある
というのは私の強みでもありますが、7年目の今でもまだ「道半ば」という感覚はあります。
本当に私の実践が『学び合い』なのか、と思う時はありますし、同じような課題や語りが通じるとは思いません。常に考え続けて、悩み続けて、チャレンジし続ける日々です。
さて、7年続けてくると、『学び合い』にまつわる周りの環境もだいぶ変わってきたように思います。
はじめの1、2年目は「何やってんの?」「やめろ」と言われていたことが、今では普通に認められ「授業を見せて」と言われるほどです。はじめの頃の隠し癖が未だに抜け切らないのは、ある意味長く続けている証拠かもしれません。
普通に認められるということは、『学び合い』を実践する人も相対的に増えてきて、知名度があがったんだと思います。私の勤める自治体でいえば、学校をあげて取り組み、結果を出したところもありますし、それに続いて取り組んでいるところもあります。同じ自治体に勤めていて『学び合い』の会に来られる方も増えてきましたし、昨年教育委員会の助成団体として研究会が設立され、「研究会に所属している」という肩書きもいただくことができました。(これは学校現場ではとても大きなことです)
ありがたいことに、研究授業ということで『学び合い』の参観に出張でいけますし、教育センターを使用して研究会を行うこともできます。もう私の勤める自治体では『学び合い』は全く珍しいもの、奇異なものではなくなりました。
しかし、『学び合い』を考え方として捉え、「確信して」(『学び合い』の会ではそう呼んでいます)実践しているか、といえばそうでない方もたくさんいることに感じるようにもなりました。具体的には書けないのですが、語りとか授業中の手立てとか、時間配分とか、子どもたちの様子を見ていたら、だいたいわかります。
そういう方が『学び合い』っぽいことをしようとすると、子どもたちが好き勝手にしたり、授業にならなかったり、結果がでなかったりすることという話を聞くようになりました
「『学び合い』はダメだ」という噂が広がっていることも聞くようにもなりました。
『学び合い』が中途半端に広がると弊害が生じる、ということだと思います。
『学び合い』が広がって欲しい、ということを前回の記事に書きましたが、このような広がりは望んではいません。逆に私の立場も危うくなります。そこで、どうすればいいか、『学び合い』の会で考えるようになりました。
③へ続く。
『学び合い』の広がり①
『学び合い』は広がってほしいな、と思っています。(だから今の活動を頑張っています)
それは、職員室や学校内外で『学び合い』の考え方をもとに授業づくりのことを話せるようになりたいからです。
私は、授業のことを考えるのが楽しいし、好きです。『学び合い』でなくても、授業のことを周りの同僚とたちと話すことはあるので、そういう時はとても楽しいし、充実感があります。
もちろん、「10年後、20年後の子どもたちの幸せ」とか「教室の中で苦しんでいるあの子を救う」のようなことも忘れてはいないですし、大事にしたいです。学級経営も授業づくりもそれらを念頭にして考えています。
ただ、なんというかそのようなことを語ると「重く」なる気がします。
今まで何度かそういうことを経験しました。
だから、もっとフランクに、まずは授業のことから話せるようになりたいのです。そうして話しているうちに、きっと話している方の教育観に関わる話題になり、「10年後・・・」とかそういう話になると思います。
もっと理想を言えば『学び合い』の考え方の授業づくりについてもっと話したい。私は算数の授業を『学び合い』の考え方で単元の進行を考えているので、周りと進み方が全然違ってしまいます。だから、どうしても自分自身で検証していく必要があります。本当にこの課題でよかったのか、子どもたちにどんな語りがよかったのか、次はどうしていくか、などなど。
そういう検証作業を自分で行うことは当然のことなのですが、やっぱり『学び合い』の考え方を知っている人と「も」話をしたい。自分だけじゃ足りない。
理想は、各学年に一人くらい『学び合い』の考え方で授業づくりをしている方がいたらいいなと思います。
色々な考え方があっていいけれど、「あなたは『学び合い』(派)なのね」くらいに。
「ねえ、今算数、どんな風にやってんの?」
「僕は次の単元は『学び合い』でいこうと思います」
「私は◯◯でやってみようかな」
そんな感じの話が自然にあるといい。
『学び合い』を実践している私にとっては、
このような職員室になったら楽しいし、来たくなります。
私が今職場外で活動しているのはこうなりたいからです。
でも、「『学び合い』が広がる」って色々弊害もあるし、難しいとも思ってます。
②へ続く。
不登校44万人の衝撃
録画していたNHKスペシャルをみました。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586156/index.html
感じた事。本気で不登校をなくすには、今の自分のやっていることじゃダメだな。
全然ダメ。でも変えられるように思えない。覚悟の問題なのか。
全体を動かすには自分一人ではダメだ。
でも、自分だけでできることがある。
今度のフォーラム、開催することでどうなってほしいんだろう・・・
なんか最近、準備に追われて何を大事にするのか、忘れかけてきています。
一人では変えられないけど、仲間がいれば変えられそうな気がする・・・
あ、こういうことかな・・・。もしかして。
抵抗力
体の抵抗力が落ちていたのでしょうか。
まぶたが腫れてしまい、メガネ生活の一週間でした。いつもコンタクトの私にとっては、すごくストレスのたまる一週間でした。
眼が痛いし、メガネ気持ち悪い。
授業も調子でないし、子どもと話しをしても違和感。あまり力を入れず、淡々と毎日が過ごしたように思います。
最近は家に帰って家族と過ごした後に何かをする気にもならず、すぐに就寝。疲れているんでしょうね。
本当は授業がバリバリできてありがたいはずなんだけどなぁ。来週こそは。
再出発
今日は、運動会あけの日。
体調を崩している子もいましたが、多くの子がいつも通りに学校に来てくれました。
子どもたちに話しました。
「みんな、どんな気分で今日学校きたの?」
多くの子が「え、何のこと?」と顔をしていました。
そりゃそうですよね。
学校に行く日だから学校に行く。
休み時間が楽しみで
勉強はまあ、頑張るか・・・くらい。
何か高い目標を持って学校に来ている子は少ないでしょう。
それはそれで全然いいんです。
だから、子どもたちに話をしました。
これからの学校生活のことを。
予定よりも長く時間がかかってしまいましたが、
これからの目標(ゴールイメージ)は
「まじめ系とワクワク楽しい系」
で考えていこうみたいなことを話してまとめました。
それから通常通り授業。
頭使ったり、熱心に話をしたり、意識して関わったり・・・
はじめに話したことが少し伝わったかな、と感じるほどでした。
なんかいいクラスになりそうだな、と思えた再出発の日でした。