おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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3学期の準備(久しぶりしっかり書きました)

明日から遠征するので、今日までに3学期の準備を終えました。私の3学期の準備は12月の初旬から始まっていました。子どもたちの様子を見ながら、3学期はどうしようかというのを考えていたからです。3学期は3つのことにチャレンジしようと考えています。

 

「カリキュラムマネジメント」「学びの個別化」「反復学習」

 

「カリキュラムマメネジメントの初歩」

まずは、3学期の教科書の内容をすべて把握。

今まではその次の日暮らしか、単元くらいしか見通していなかったので冬休みは3学期まるごとしっかり教材研究をしようと決めていました。

 

今更なんですが、学校の教育課程計画で決められている単元構成って、しっかり把握しておかないともったいないことになります。例えば意図もなく学期の後半に音読の単元を残しておいたら練習する時間が限られています。また、学期の初めに作文の単元を学習しておけば、それを生活科や、日記指導などに生かすことができます。重なった内容は、合科にしてもいいでしょう。

 

初歩的なカリキュラムマネジメントだと思います。ただこれも時間をかけて取り組む必要があるので、冬休みの半日を要しました。

 

「学習の個別化」

これは2学期の後半にチャレンジしました。

1学期からはじめた『学び合い』によって全員達成を目指す集団になることはできてきました。「一人も見捨てない」と口に出さなくても子どもたちの言動から「一人も見捨てない」の考え方が見えてきます。もはや、次のステップに進んでいいのではないかと思っていました。

 

『学び合い』あるあるなんですが、どうしても「全員達成」を目指すと毎回一人残ってしまう子がいます。他学年でしたら、「他の教科で」「単元全体で」という対策があるのですが、

1年生では書くスピードや言葉の理解に差があるので、残ってしまう子が決まってしまいます。また単元ごとの『学び合い』には不安があったため、チャレンジできずにいました。

 

その単元『学び合い』の第一歩として、2学期の後半に「学びの個別化」を目指した『学び合い』を行いました。

学びの個別化 - GTOのブログ 『学び合い』で楽しい学校生活

子どもたちはそれぞれのペースで学ぶことができました。というより、こんなにペースが違うのね、と驚いたくらいです。学習の個別化については下に詳しく記載します。

 

教師が個別評価すべきか

『学び合い』では自分で〇つけをしたり、子ども同士で〇つけをすることが多いと思います。でも「よく分かっていない」ことを自分で認識したり、周りに指摘されないまま、「分かった」ことにしてネームプレートを動かし「全員達成」そのまま授業を終えている子は結構いると思います。他の学年ではそれでも、次分かればいいですし、もっと言えばテストまでに分かればいいと思います。「半」分かりなんてよくあることです。また、「分かったつもり」はテストの点数に影響するので、テストの点数を目標にしていると子ども同士の評価が次第に厳しくなり、改善されていきます。

 

しかし、1年生はそうもいきません。何しろ合っているのに×、間違っているのに〇をつけちゃうような子たちですから。そもそも「分かる」なんてものすらよくわかっていない。

 

そのまま他の学年と同様にしていると、困ったことが起きると思います。例えば、家に帰ってプリントを見た保護者の方が「~ちゃんこれどういうこと?まちがっているのに〇しているよ」と聞いたりすることが考えられます。これでは『学び合い』に対して不安や疑問を抱くのは当然です。(これは1年生に限ったことではないですし、今までどの学年でも同じようなことはあります)

 

やはり、『学び合い』をする以上、子どもに持ち帰らせるプリントや学習ノートには教師の目が通っているべきですし、完璧に分かってなくても、教師の何かしらの手立てや個別指導の足跡は残すべきだと思います。しかし、それをするには膨大な時間と、他の子への別課題の指示が必要です。

 

そこで今回「学びの個別化」をすすめる中で、子どもたちの学習の区切りことに点検を行うことにしました。今までは子どもたちの様子を見ながらブラブラしたり声をかけたりする必要がありましたが、もはやそれも必要なさそうだったので、授業中に子どもたちの点検に時間を割くことができそうだと考えました。

 

やってみると、やはり案外分かっていないまま〇付けしている子が多くて

「これどういうこと?」「お話ししてみて」「これ間違っているよ」と声を何度もかけました。すると、子ども同士で「先生に見せる前に点検しよう」という文化が生まれてきて子ども同士の点検が始まりました。なるほど、この子たちは点検をするということすらも初めて経験するんだ。だから教師がモデルになる必要がある。ちょっとした発見でした。

 

これは3学期にも取り組めそうだ。

さて、子どもたちの様子を時々見ていると、遊ぶこともないし、暇を持て余すこともありません。ちゃんと目標がはっきりしていると、この子たちはどんどん学べるんだと思いました。すごく早く終わる子もいるので、その子たちには「スペシャル課題」として、「問題づくり」「自分の復習づくり」を課してみました。これもなかなかよさそう。いくつか反省点も残しながらも2学期の復習を終えることができました。そして、3学期にはこれでいこうという気にもなりました。

 

まずは何をしたかというと、上にも書きましたが3学期の単元をすべて見通しを立てました。そして、学習指導要領と照らし合わせながら、それぞれの単元でどんな力を身に着ける必要があるか確認し、どこで(どのように)評価するか考えました。

 

 

その後は、学習プリントの作成。とはいってもすべて教科書通り。大事ににしたいのは、学習の足跡をすべて残せるようにすること。

15枚のプリントと、毎時間の振り返りレポート。そして単元表(プリントの進度確認表)これらを作成し、すべて印刷をしました。これで1月~2月の算数は完成です。

準備する時間は一度にかなりかかりますが、その次の日暮らしよりはマシです。これだけ準備していれば、授業中は子どもたちに集中できると思います。

 

反復学習

さて、子どもたちの学びの個別化はできそうです。もう3学期の見通しは立ちました。

もう一つ行いたいことがあります。それは、「反復学習」です。

一年生は、くりあがりの足し算、引き算を勉強します。カタカナや音読の学習もあります。

生活経験や、家庭学習の差が影響するとは思いますが、計算能力、音読、言葉の定着はやはり反復練習が必要だと思います。しかし、これを一番大事にしようというわけではありません。

 

もしかしたら『学び合い』の実践者の中には「必要ない」といい切る方がいるかもしれません。しかし、そこまでは自信を持てません。それは、来年度『学び合い』じゃなくても子どもたちが充実した学校生活を送ってほしいからです。

 

『学び合い』を通して学んだことは、次の学校生活でも間違いなくいかされると思います。それは人生レベルの学習をしているからです。たとえば、「分からないことは周りの力を借りる」ことです。しかし、そこに重きを感じていない方も多くいると思います。それが悪いとは思いません。また、「基礎基本」の名のもとに、計算力、音読、言葉を大事にする傾向が学校にあるのも事実です。

 

そういった中で子どもたちがこれから学校生活を送っていくんだから、できるだけそれに対応できるようにしておきたい。結局子どもたちに「させる」ことになるので、自主的な学習を目指した「学びの個別化」と矛盾することにもなりますが、私なりのバランスを取り方です。

 

することはそんなに難しいことはありません。国語と算数の時間の頭に、計算練習や音読練習を入れます。ただ、単純に取り組むのではなくて、これも足跡を残して、自分の成長を実感させたいと考えています。具体的な教材は算数が100マス計算、国語がことわざ音読フラッシュカードと、教科書の音読を考えています。本当はいろんな実践があるんでしょうけど、あくまでメインではないので、これ以上深入りはしません。

 

まとめ

正直言って、試行錯誤の段階です。

そもそもこんなことを何のためにやっているかというと、子どもたちの学びが充実することを追求するためです。おそらくほかの先生たちとあまり変わりありません。ただ、本当に一人一人の子どもたちすべてにとっての学びにこだわりはしています。

 

「『学び合い』にこだわらないでいろいろな方法を取り入れる」という方もいれば「一人も見捨てない『学び合い』にこだわる」という方もいます。私は目の前の子どもたちを軸にして、子どもたちの学びが充実するためにはどうしたらいいか考えるのがベストだと思っています。

 

だから「いろいろな方法を取り入れている」ようで「『学び合い』から離れない」ようでもあると思います。

 

何にしても楽しいです。ワクワクしています。

これが私なりの学びの充実です。

 

さあ、明日から遠征。もしかしたら何かヒントがあるかも。楽しみだなぁ。

 

今日はいっぱい書きました。読んでくれた方、ありがとうございました。

またよろしくおねがいします。

 

 

年賀状

出さないという方もいますが、私はまだ出しています。

職場の方々、今のクラスの子たち、家族親戚と友人に出しています。

 

キリがなくなるので過去の教え子たちにはこちらから送ることはしないんですが、

何人かの子から届きます。

それを見ながら当時のことを思い出します。

 

2年生 現在中3

4年生 現在高1

3年生 現在中2

5年生 現在中3

6年生 現在中3

3年生 現在小5

6年生 現在中1

1年生 ←今年度

 

来なくなっても構わないものですが、来たらきたでうれしいものです。

高校に進学した子たちは、「どこどこ高校に行きました」ということを書いてあるし、

これから受験の子は「あとちょっとで受験です」なんて書いてあります。

なんか人生を追っているようで楽しくなります。

 

中には

 

『学び合い』を生かしています。

 

とか

 

『学び合い』をしたいです。

 

とか

も書いてあります。

『学び合い』が印象的だったんでしょうね。

 

なんだかんだ、もらえると嬉しい年賀状。

もうしばらく続けていくとだろうと思います。

 

教育の力

改めてこの本を読んでいます。もう何回目かっていうくらい。

 

教育の力 (講談社現代新書) https://www.amazon.co.jp/dp/406288254X/ref=cm_sw_r_cp_api_dT4sAb2BMTQ3Y

 

3学期はじめのお便りに引用しようかなと思います。自分の学級経営や、授業の理念が、自分の経験だけによるものではなく、根拠を持っていたい。「よい教育とは何か」自分自身で常に考えていたい。

 

正月から真面目なことしてるなぁ。

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

今日はブログ開設記念日でもあります。

2年前の今日、私は何を思っていたかしら。

1年前の今日、私は何を目標にしていたかしら。

 

昨年、このブログを読んで下さる方にも出会いました。もともと自分のために書いている面があるんですが、読んで下さる方がいるのは、嬉しいです。

 

さて、今年もたくさんチャレンジすることがありそうです。まずは、2月。それまでに準備を進めていきたいです。

 

 

大晦日

今年も残すところあとわずかになりました。

今年はTEDxに登壇させて頂き、

6年生の子たちの卒業をさせたことがまず大きな出来事でした。

 

そして1年生の担任スタート。

前半だけ考えると、本当に今年の出来事なのかなと思うくらいです。

 

1年生の担任は、自分の教師としての在り方をたくさん問われることになりました。

今まで当たり前にしていたことが、当たり前じゃない。

言葉によって通じ合うことの難しさを感じました。

また、子どもたちとどのようにかかわればいいか悩みました。

悩んで悩んで行きつくところはいつも自分の人間性

どうすればいいか、分かってはいてもなかなかできない自分に葛藤していました。

しかし、年末には自分でも少しは手ごたえを感じるようにもなりました。

年があけたらあと少ししかないのが寂しいです。

 

夏の全国フォーラムに参加することで見えてきたこと。

自分の強みとは何か。

短期的、中期的な目標は何か。

『学び合い』を少し長く実践している身として、講師として呼ばれるようになりました。だからこそ、自分に求められる力も変わってきました。

これから自分が何を目指し、どんな力をつけたらいいか

少し見えてきた面もあります。

 

上にも書いたように、前半が違う年のような一年。

でも一年前とは全然違う自分が今います。

自分自身も周りの状況も一気には変わらないけど

一日一日、少しずつ積み上げていくと、振り返った時に大きな変化になっているのではないかと思います。

 

さて、振り返っていたら、来年が楽しみになりました。

このブログも1月1日で2周年です。

2年前に踏み出した一歩が、今ずっとつづいています。

 

読んでいただいている方々、ありがとうございました。

中身のないような内容の日もあったと思いますが、

また来年も続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

よいお年を。

ざわ…ざわ…

ある方のブログを、先日からずっと読んでいます。

私がブログをはじめたのが2016年で、2018年のお正月でまる2年になりますが、

その方はもっと前からはじめています。

そして『学び合い』は、私よりも4年以上前に出会って、実践をしていたようです。

 

読んでいて勝手に解釈をしたことなんですが、その方は、『学び合い』のずっと先を行っていると感じています。最近のブログには『学び合い』という単語が出てきません。

 

『学び合い』から離れたのか、それとも通過してしまったのか。

ただ、最近のブログを読んでいて感じたことは、

「私もここを目指したい」ということです。

 

 

 

 

昨年から薄々感じていたのですが、「全員達成を目指す一回こっきりの学び合い」

「単元の『学び合い』」に行き詰まりを感じていました。

いくら課題を変えても、いくら構成を変えても、いくら語りを変えても、

何か淀んでしまう。

また、結果もなかなか出ない。

「このクラスは仕方ないのか」そんな風にも思いました。

 

そして、今年の1年生の担任で、それがいよいよ確信に近づきます。

「理解できる」「分かる」「正しく〇つけする」

ということを子どもたちが共有することができず

「よくわかっていない」ということが多々起こったからです。

 

お隣のベテランの先生は、徹底して子ども一人ひとりを点検して、

勉強の理解度を確認していました。

しかし、私は子どもたちに任せていました。

しかし、どうやっても子どもたち同士だと「ちゃんと分かっているか」

点検するのが難しい。

 

いよいよ保護者の方にそれを指摘されることがあり、

一気に軌道修正を迫られました。

子どもたちの理解の点検が必要だ。

 

また、一回こっきりの全員達成を目指す学び合い。

1分で終わる子と、30分以上かかる子。

そもそも、問題の意味が分からないとか、日本語が分からないとか、

今まで担任した時には感じたことないような子どもたちの差を感じ、

一回こっきりは難しいと思うようになりました。

なら1分で終わる子と30分かかる子が一つの教室で学ぶにはどうしたらいいのか。

学びの個別化が必要なのでは。

 

そこで、2学期の終わりに総復習の時間が取れたので、

子どもたちに課題を与えて、それぞれのペースで学べるようにしました。

少人数のグループの島を作っているんですが、子どもたちはおしゃべりをしたりとか、

遊んだりはしません。

 

どの子も驚くくらい集中して学んでいます。

そしてそこに「ゆるやか」な協同が見られました。

「ねえ、ちょっと〇つけてよ」

「ねえ、これどうやってやるの」

 

そんな会話が少しずつ聞こえてきます。

「これだ」と思いました。

そして、一番気になっていた点検も、

子どもたちのペースに合わせてするようにしました。

 

やはり、一人ひとり聞いていると、細かいところは曖昧だったりしました。

やはり、これは必要だと思いました。

「子どもに任せて信じる」ということで、

個に関わりすぎるのを控えていましたが、

これは必要なかかわりだろうと思いました。

 

何のモデルもなく、このような学習を試行錯誤してきたわけですが、

ついにモデルになるであろう実践を見つけたわけです。

それが今読ませてもらっているブログです。

 

もう、心がざわざわしています。

読んでいて目からウロコです。

年末年始は、本を読むよりこのブログを読むことになりそうだな。

 

 

話を聞くこと

19歳の頃、大学受験浪人していました。予備校ではほぼ一人で、会話する相手はいませんでした。浪人生という肩身のせまさから、家に帰っても家族と話すこともあまりありませんでした。

 

大学に行っている友人の話を聞くと楽しそうで億劫になるし、働いている友人の話を聞くと、自分はいったい何してるんだろうという気持ちになるので、友人と会う機会もほぼなくなりました。

 

孤独感から逃れたかったのか、予備校近くの公園にいる鳩に話しかけたり、ノートに自分の気持ちを書いたりしていました。
「北海道に行きたい。自分の人生を広げたい」呪文のように呟いていました。もはやそれしか頼りになるものがなかったからです。

 

 

幸い、受験が終わり、春から北海道に行くことができました。しかし、1年間ほぼ人と関わらなかったからか、北海道に行った当初の自分はコミニケーション能力がかなり低かったと思います。当時の日記を読むと、明らかに変です。

そんな私でも仲良くしてくれる人たちがたくさんいました。その人たちとの関わりの中で、強く記憶に残っている出来事があります。北海道に来たばかりの頃、私は吹奏楽を続けていくか、悩んでいる時がありました。上にも書いたように、自分の考え事は自分で何とかするのが当たり前だったんですが、たまなま当時仲良くしていたTくんが、私の話を聞いてくれました。なぜかすごく感動しました。今でも記憶に残ってるくらいです。

 

初めての感覚でした。
いや、それまで関わりのあった人たちにもたくさん話を聞いてもらってきてるはずのなのに、そのような感覚は経験したことがありませんでした。

おそらく、「人に相談する」という経験がそれまでの人生で少なかったことと、1年間人と関わることをほとんどしていなかったために、「人に相談する」という行為が自分の中から無くなってしまっていたからだと思います。

その時強く思ったのは、「こんな人になりたい」どうしたらいいか分からなかったので、いろんな本を読みました。本に書いていることを試した時期もありました。

 

色々と考えたり、試したりしていたのですが、話を聞ける人よりも、話が面白い人、場を盛り上げられる人の方が魅力的に感じることが増え、いつのまにか、そちらの方に興味がうつっていきました。

 

性格悪いんですが、自分はできるだけ面白い話をしようと意識しているのに、全然つまらない恋愛話や、愚痴話を延々と聞かされることがバカらしく思ったこともありました。
※しかも食事代を奢るなんてことも。

 

ただ、人に相談することに対するハードルはかなり下がっていて、色んな人に話を聞いてもらうことは何度もありました。それからは話を聞く、聞いてもらうことが、同じくらいの関係を作ることがスタンダードになっていきました。


それからだいぶたち、教職に就きました。子どもや保護者との信頼関係をつくるためには、話を聞くことが必要だということを実感し、基本的に話を聞くスタンスでいます。これは多くの先生たちがやっていることなので、特筆することではないんですが、私は意識してやってます。「なんでずっと話を聞かなければいけないんだ」と思ってしまったら、すぐに態度に現れそうだからです。信頼関係のため、と思えばしっかり聞けます。この自分自身に聞く必然性があることが重要だと分かってきました。

 

最近になって、Yさんに、私の話を聞いてもらうことがありました。主に『学び合い』のことです。Yさんは『学び合い』のことに興味を持っていたので、私の話を熱心に聞いてくれました。私はその時、過去のことを思い出しました。Tくんに話を聞いてもらった時のことです。あの時の感覚に近い。

 

ああ、そうか。
聞き手に必要感があって、話を最後まで口を挟まないで聞けばいいのか。単純なことに気づきました。これは生かした方がいいぞ、と思いかけていた今年の夏、ある若手の先生から相談の依頼がありました。

 

その時、思い出しました。

そうだ、話をしてもらおう。

心ゆくまで。

人生レベルで。

それをすべて聞こう。

そうすれば、人となりが少しはわかるはず。

 

40分ほど、話をしてもらいました。

あっという間の時間でした。

人生の話を聞くのってこんなに楽しいんだと思いました。話をしてくれた若手の先生も、考えをまとめる機会にもなったようで、お互いにとってとてもよい時間でした。

 

この時、確信しました。

これだ。

これはお互いにとってメリットがあるはず。

Tくんに話を聞いてもらって約10年。

色々あったけど、自分なりの「話を聞くこと」スタイルができた気がします。

当のTくんにとっては何のこっちゃ?って感じでしょうが、私にとっては当時の彼のレベルに来るまでに10年の時間を要しました。

 

いかに、義務教育時代に周りと話してないか、、、おっと。これはいけない笑 

 

さあ、書いたらスッキリしました。

明日は高校時代の友人と会います。多分話をじっくりは聞きません。くだらない話をゲラゲラする仲だから。それもまたいい。楽しみ。

 

 

 

『学び合い』に至る

最近、何人かの学校の先生に1対1でじっくりお話を聞かせてもらう機会を持たせてもらっています。

 

私が聞いていることは、

 

教師に至るまで。

『学び合い』に至るまで

『学び合い』を実践していて。

 

です。

話を聞いていると、当たり前ですが「教師に至るまで」がバラバラです。

 

「どうして教師なのか」

「どんな教師になるのか」

 

様々な経験や、葛藤を経て、教師を目指し、教師になられたそうです。

 

そして、それぞれの方法で『学び合い』に出会います。ある方は本。ある方はネット。実践者との出会い。『学び合い』を実践している学校で見たという方もいました。

 

そして『学び合い』の考え方に納得し、確信を得ていくようです。

 

たまたまかもしれませんが、ここに共通点があります。それは「教師に至るまで」の際に、考えていたこと、葛藤していたこと、経験したことの何かしらが、『学び合い』の考え方につながります。まあ人が心を動かされる過程においいて、その人の人生とつながりがあることは、当たり前といえば当たり前なんですが、「生き方」や「考え方」レベルで「これはいい」という教育実践って珍しいのではないかと思います。

 

私自身の経験からすると、

子どもたちの姿や、『学び合い』の実践を繰り返す中で、自分の今までの人生を意味づけしていった経緯があります。

自分の人生が「掘り起こされた」ような感覚です。だから、教師に至るまで=『学び合い』では実はありません。だけど、人に語るときはおそらく、教師に至るまで=『学び合い』で語ってしまうだろうと思います。

 

おそらく、今回お話を聞いた方の中にも同じように過去を意味づけしているからこそ、

『学び合い』の考え方に近い、過去の経験や願いを話をしていた面もあるとは思いますが、いずれにしろ『学び合い』は人生レベルで行う教育実践なため、合わない人がいても当然だし、

強要してはいけないなと思いまして。

 

いやはや、それにしても話を聞くのは面白い。

「すごい人」と言われるような人の話を聞くのもいいけど、身の回りにいる人から「人生レベル」の話を聞いた方がもっといい。

少しだけ距離が近くになった気もするしね。

話を聞く

やっばり話を聞くのはいい。

その人の人生や、人となりが少し分かる。

何が大事かって、全部聞くこと。

それぞれの人生観と『学び合い』のつながりをぶつけてほしい。

 

いやぁ、楽しみになってきた。

がんばろ。

動き出す

今度セミナーを企画することになりました。

それに向けて、発表して頂く方と話をしたいと思います。

昨日お話を聞いた方は、まだ新採の先生。

でも私なんかよりも、理論も知識豊富だし、何より「観たもの」が全然違う。

 

海外の学校や、進んだ教育を行っている日本の学校をたくさん見ている。

つまり、「イメージ」を持っている。

子どもの姿、学校の姿、教師の姿。「こうありたい」という理想

 

本当にすごいというか、うらしやましい限りでした。

そして彼ながらの悩みが「現場で自分が学んだことを生かせるか」

だそうです。

そりゃそうだろうな。教育の理想の姿を知っていながら「慣例」だらけの日本の公立学校。「これ必要あるの?」と思うことがたくさんあるだろうし、自分がしたいことも全然できないと思う。

 

なるほど、こんな葛藤を抱えた人もいるんだ。

彼はいろんな引き出しを持っているようだ。

それを上手に引き出して彼にプラスになる発表をコーディネートしたい。