『学び合い』小学校国語①
小学校で『学び合い』を実践している方や、これから取り組もうとしている方と話をしていると「国語の『学び合い』ができません・難しい」という話をよく聞きます。
確かに私も『学び合い』を始めた当初は算数ばかりで、そのうち社会に取り組み、
そして最近になって国語に取り組むようになりました。だから「国語の『学び合い』が~」という気持ちはよくわかりますが、なぜそう思うのかよくわかりませんでした。
しかし、最近「アクティブ・ラーニング 高校国語」を読んで、その理由が少しわかった気がします。
すぐ実践できる! アクティブ・ラーニング 高校国語 (アクティブ・ラーニング教科別実践法シリーズ)
- 作者: 西川純,今井清光,沖奈保子
- 出版社/メーカー: 学陽書房
- 発売日: 2017/05/16
- メディア: 単行本
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この本にこのような一文がありました。
『明確な目標として言語化できること、妥当な評価基準をつくれることが「教科の専門性』
おそらく国語はこれをしっかりやらないと授業にならないから「できない」「難しい」と思われるのではないかと思います。例えば、物語文の学習などは数時間単位で授業を行います。やりようによっては、いくらでも幅が広がります。「この教材で、何を学ぶのか」と教師がはっきりしていなければ、何となく「読んだ」くらいに終わってしまいます。他の方はどうか分かりませんが、私は過去このようになっていたと思います。
一方で算数は、数時間単元であっても、一時間の授業のゴールが見えやすいように教科書がつくられています。また、算数の単元まとめの問題を『学び合い』で行う時は、「○ページの問題を解いて、全員が理解することができる」という課題を出せば、ある程度『学び合い』の形らしくなりますし、評価も分かりやすいので取り組みやすい利点があります。
私は『学び合い』を続ける中で算数でも社会でも「評価はどうするか」「課題はどうするか」ということを考えていくうちに、学習指導要領をもとに、評価基準をつくらないといけないことに改めて気づき、それが国語の『学び合い』でも生かされるようになっていったので、国語の『学び合い』を取り組めるようになったのではないかと思います。つまり、
『学び合い』国語こそ、できるようにならなければならない。
のではないかと思います。本来しなければいけない「明確な目標として言語化できること、妥当な評価基準をつくること」を曖昧にせずに、どの教科でも行えるようになることが小学校で『学び合い』を行う上で必要なのではないかと思うのです。
次回は、もうちょっと国語のことを書きたいと思います。