理想
子どもたちのことを何でも受け入れられるようになりたい。
時間守れなかったことに「今日は時計みようとしてたね。次は頑張ろうね」と笑顔で言いたい。
忘れ物をしたと言いに来た子に「ちゃんと言いに来れたね」と笑顔で言いたい。
声が大きい子に「ははは、元気いいねぇ、でもボリューム下げてね」と笑顔で言いたい。
なにかトラブルを起こした子に「残念だなぁ。
でもこんなことする子じゃあないよなあ。これからどうしよっか」と笑顔で言いたい。
ニ年前も同じことを思っていました。
一年前も同じことを思っていました。
時間を守ったり、トラブルを起こしたり、忘れ物をしたり、、、そういうことをキチッとさせることが骨の髄まで染み込んでいる自分と、
「そんなのも受け入れようよ。ちょっとずつ成長していくことを見守ろうよ」と言っている自分。
この葛藤にいつも挟まれて、表情はいつも固い。二年前は、「先生、ムッとしてますよ」と言ってくれた子たち、一年前は「先生こわいよ」と言った子たち。多分みんな私の顔色を伺っていたんだろうなあ。
そんな自分から変わりたくて、一年生担任を願っていたら本当に担任することに。
「きっと変われるはず」と希望にわいた。
しかし思っていたものと全然違った。
今までよりも、もっと余裕がなくなって
自分のダメなところが露呈するようになりました。
心がけることを、通勤途中に唱和しました。
自分が心がけることを教卓に貼りました。
「まあしょうがないか」と小さい声で言うようにしました。
いろんな本を読みました。
毎日毎日、振り返りを夜に書くようにしました。
何が自分に合うのか試行錯誤してきた結果、自分ができなかっことを反省するのはほどほどにして、できたことを思い出して、自信をつけていくことでした。
激変、ってことはありませんが、
徐々にできるようになっている実感がありました。
あと3ヶ月
あと1ヶ月
あと1週間、、、
そう自分にプレッシャーをかけつつ、毎日が自分との戦いでした。
そして1年間が終わりました。
理想の自分に近づけたかといえば、全然満足できませんが、ほんの少しだけ変わることができたと思います。
人が変わるって、こんなに難しいんだとものすごく実感しました。子どもたちに変わることを求めている自分ってどれだけ偉そうなんだ。
もしかしたら私が教師という仕事を、自分自身の人間性形成のためにやっているのでは?
そうであるならば、これからもずっと自分自身と向き合っていきたい。