おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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違和感

子どもたちが「イキイキ」と学んでいる。

「イキイキ」・・・子どもたちの目が学びに向かっているというか、活発というか、自分の課題を解決するために学んでいたり、さらに学びを深めようとしたりしている姿だろうか。うまく表現できないけど、そんな感じ。

 

ホワイトボードをつかって学んでいる子

自分で問題を作っている子

作った問題を出し合っている子

別の課題をしている子

 

それぞれが、それぞれの方法で学んでいる。

楽しそうでもある。時々大きな声も聞こえてくる。でも遊んでいるわけではない。

「ああ、そうかこれが学びの「個別化」「個別最適化」なのかな。」

と思った。それならば、これからの教育はこのような形になっていくのかな、とも。

 

ふと全体を俯瞰してみてみる。

「あれ、あの子、何も進んでないんじゃない?」

目線が泳いでいる

教えてもらえる誰かを探そうとして、やめる。

もう一度課題に戻る。進まない。

 

しばらく様子をみていた。

5分、10分と過ぎていく。

たまらず「あれ、課題進んでいない子いるんじゃない?」

と声かけ。視覚化のテクニックだ。

 

2、3人くらいの子が気づいた。

しかし、多くの子は自分のことに夢中で、気づかない。気づこうともしていない。

 

いいのか。果たしてこれでいいのか。

いや、時間がかかる子がいてもいいか。できなかった分は次の時間も学べる。

単元を通した学びなら、少し遅れようとも後から追いかけることができる・・・。

それぞれの能力にあったスピードで学べばいい・・・。

 

授業の最後に話をする。

「イキイキ」学んでいることを話すのか

課題が進んでいない子の話をするのか

結局どっちもした。

 

先に進んでもいい、でも置いていくな。

あれ、なんか矛盾してなくない?

本当に「個別化」するんだったら、進みたい子はどんどん進んでいいはず。でも進むなともいう。

本当に「個別化」するんだったら、ゆっくり進む子はどこまでもゆっくり進んでいいはず。でも置いてくなという。

 

この矛盾は考えないようにしていた。

なぜなら自分としては「これが「学びの個別化」だ」という実感がほしかったからだと思う。

その実感のために知らず知らずのうちに、何が大切なのか、何を大切にしたいか見失っていたと思う。

 

でもやはり違和感はあった。

「一人も見捨てない」は?

 

 

個別化するには「一人も見捨てない」という願いが必要なのでは。いやむしろ「一人も見捨てない」がないと危ないんじゃないの。それが最近の私の答えかな。