おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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プラス

 

 

私も含めて子育て世代が増えてきました。

産休に入る先生も増えてきています。

急に休みが必要だったりします。

そんな時に安心して任せる存在がいるってものすごく有り難い。

そして、担任の先生がいなくても子どもたちの学校生活が通常どおりに

行われることは最低限保障されるべきことです。

 

しかし、それが保障されないかもしれない現状。

もしかしたら来年度、そのようなことが起こるかもしれません。

今年がとても恵まれていることを忘れずにいたいものです。

そして、そういう状況になったときに、私が何ができるか考えておきたいと思います。

何が大切なのか

今日、同僚の先生と今後の教育現場について少し話をしました。

学習指導要領の改定に伴って、早いところではもうすでに、授業や教育課程が変わりはじめていると思います。

 

私の勤めている自治体は、来年度から外国語と道徳が変わっていくようです。

簡単に言えば教師も子どもたちも今までよりもやることが増えます。

 

時代の変遷、今後の日本の社会の変化に伴って、学習する内容が増えたり変わったりすることは当然だとは思うのですが、その先生は、増えることに対して危機感を感じているそうです。

 

 

確かに、大切大切で、いろいろ盛り込みまくって苦しくなるのって、誰かいえば

子どもたちなんだろうけどなあ。そして余裕のなくなる教師。

来年以降が心配でもあります。。

 

 

『学び合い』は続けられないのでしょうか。

昨日は学級懇談会がありました。

学級閉鎖あけの懇談会だったので、人数は少なかったんですが、

たくさんお話することができたので、良かったなと思います。

 

その中で「『学び合い』を2年生からも続けられないのか」ということが話題になりました。

 

保護者の方には『学び合い』のよさがこの1年で伝わったようです。

子どもたちの関係が良くなり、進んで学習をするようになったことを実感したようです。「学校楽しい!みんなと勉強したい」と家で言っている子もいるようで、「『学び合い』っていいんだな」と思ってもらえたようです。

 

「なんで他のクラスの先生たちはしないんだろう?」

 

保護者の方の素朴な疑問が挙げられました。

そこで私は教師主導の授業が一般的であること、『学び合い』のような子どもに任せる授業のスタイルに変えるのは、簡単なことじゃないという話をしました。だから、次に担任の先生が変わった時は、その先生のやり方に合わせてほしいというお願いをしました。

 

でもこの保護者の疑問はもっともだなと思います。

学校の教師はなかなか自分のやり方を変えることができない。

それは私も同じです。

学校の教師に限ったことじゃないかもしれませn。

人はそんなに簡単に自分の考えや生き方を変えることができない。

 

でも改めて校内に『学び合い』の実践者がもう少しいてもいいんじゃないかなと

思いました。いまだに私一人というのは、私の責任でもあると思います。

保護者の方の願いに完璧に答えられるわけじゃないけど、私も職員室内で頑張りたいと思います。

再開!

先週末から私のクラスは学級閉鎖をしていました。

お隣のクラスは今日からということですし、どこの学校も何クラスか閉鎖をしているそうです。この時期はどうしてもインフルエンザが流行してしまうそうですね。

 

学級閉鎖に伴って、今日予定されていた参観の授業も変更する必要がありました。

もともと、学年合同の授業を行う予定でしたが、それぞれのクラスで行うことになりました。

 

しかし、人数がそろわない、子どもたちの体調も万全ではない、授業の進度もバラバラ…何の授業をしようか考えました。

 

生活科の「むかしのあそび」

これなら、子どもたちも楽しく学習できるし、保護者も近くで子どもたちの様子を見ることができます。いやはや、他の学年ではなかなかこのような学習はないので、

とても助かりました。

 

まずは、子どもたちがどれだけ復活しているか。。

元気になっているといいなあ。

 

学校行きたくない

 

「学校行きたくない」

 

友達とうまくいかなくて、居場所がなくて嫌になる気持ち。勉強が思うようにいかなくて、嫌になる気持ち。親に気持ちをぶつけても、受け入れてもらえずに、嫌になる気持ち。そういうことなのかなあ。

 

 自分が親だったらどう言うだろうか。

「何言ってんだ。それも乗り越えていくのが学校だよ」と厳しく言う?

「いいよ、学校やすみなさい。元気になったらまた学校行けばいい」と受け入れる?

 

また、担任だったらなんて言うだろうか。

 

「大丈夫、もうちょっとしたら勉強も楽しくなるし、友達とも仲良くなっていけるよ。今はその充電期間なんだ。それまで少しずつ頑張ろうね。」と笑顔で言う、かな。

 

合ってるか分からないけど。

 

 

 

 

閉鎖

学級閉鎖になってしまいました。

インフルエンザおそるべし。

おそらく一日で一気に広がった感じです。

全く責任がないわけではないので、とても心苦しいです。

 

私も気をつけたいと思います。

 

挑戦、チャレンジとは言うけど

よく学級目標に、「チャレンジ」とか「挑戦」とか書いてあったりします。

子どもたちにもそのようなことを話す方もいます。

私もその一人です。

 

でも「チャレンジ」とか「挑戦」って大人になってなかなかできないことじゃないかなって思うんです。「チャレンジ」とか「挑戦」って、今の自分以上のことをしたり、新しいことをしたりすること、苦手なことを克服すること…そんなことじゃないかなと

私は認識しています。

 

学校の教師になって「挑戦」ってあくまで自分のできる範囲だったり、

失敗しないレベルだったり、想定がつくようなことだったりすると思います。

 

「学校は失敗するところ」これもよく聞きますが、新しいことや、失敗するおそれがあることは、あまりしないのではないかとも思います。

 

ある知り合いが、学校の出前授業にチャレンジしていました。

教員だったらハードル高すぎてチャレンジするはずないというか、完全に他分野のことなので、できるわけないというものです。

 

その方は、私に何度も「チャレンジ」を提案してきました。

私はいつもその「チャレンジ」をもってくるたびにある種の抵抗がありました。

「~にどう思われるか」「負担が増える」「保護者への説明は…」そんなことを考えてしまいます。そこでいつも思うわけです。「チャレンジしていないの自分じゃないか」と。

 

その方も今度の出前授業、着々と準備を進めていました。

以前は構想を私に話していただけだったのに、いつの間にか実現へと向かっている。

すごいことだなと思います。これこそが「チャレンジしよう」と言える大人の姿じゃないかなと思います。

 

今週、朝の15分間活動に取り組んできました。

家に帰ってからもいろいろと15分の活動を決めて取り組んできました。

それをしているうちに、いろんなことが頭に浮かんでくるんです。

「こんなこと話そう」

「こんなことをしてみよう」

 

その中の一つに、今までやったことのないことを思いつきました。

もしかしたら「まあた、お前は思いつきで行動する」と言われそうです。

でもやってみたい。

 

行動にうつすぞ。