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一つのバケツ

一つのバケツが、掃除時間に置いたままになっていることがあります。

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私はそういう時、そのバケツがどうなるのか様子を見ています。

 

誰もそのバケツのことを気にせず授業がはじまることもあります。

「おーい1号車の人、バケツ片付けろ!」と声がかかることもあります。

「あ、自分の仕事だった」と当番の子が慌てて片付けることもあります。

気づいた子がそっと片付けることがあります。

 

私は、置いたままになったバケツを子どもたちがどうするかによって、クラスの状態を予想します。例えば、置いたままのバケツを、誰も気づかないのは、他人や身の回りに関心があまりない、持とうとしないのかな・・・。とか、気づいているんだけど、行動するまでには至っていないのかな・・・とか。みんなが声をかけ合えば、しようとする子が増えるのかな・・・とか。色々考えます。

 

もし、他人や身の回りに関心があまりないのであれば、自分勝手な行動が増え、休み時間のトラブルが増える。自分の仲良ししか関心を持たず、一人ぼっちがうまれる。授業中にうるさくなって勉強に集中できない状態が続く・・・なんてことを想像します。考えすぎかもしれませんが、経験上考えられます。教師の指示、注意によって表面的にはよくなったように見えることもありますが、本質は変わりません。だから子どもたちに気づかせるように、繰り返し話し続けるしかないのです。「そのままじゃ、自分たちが過ごしやすいクラスではなくなるよ」と。

 

バケツを例にあげましたが、これはバケツではなくても、教室の色々なことに言えます。

「窓があいたまま」「教室の床にものが落ちている」「本棚が乱れている」「椅子がだしっぱなし」など、似たようなことはいくらでもあります。だから、教室環境はすべて子どもたちのクラスの状態とつながっていると考えています。バケツ放置がなくなるようなクラスは、本棚も椅子も机の上もだいたい片付いています。理由は単純で、それらが同じことだと子どもたちがわかるからです。

 

さて、上のような「バケツ放置」に似たことがこのクラスでもこの2ヶ月弱の間に何度かありました。

例えば、社会科の授業がはじまるのに、棚にしまっている教科書の準備ができていない、授業開始のチャイムがなっていても、遊んだり、本を読んだりしている子がいるということです。

 

そんな時に「準備しよう!」「席につこう!」という時もありましたが、じっと待つこともしました。言えば簡単なのです。でも子どもたちの成長は見込めません。だから「自分たちで考えて、自分たちで行動できるようになってほしい」「それは、みんな自身が過ごしやすい教室をつくることになる」という旨の話を繰り返しします。すぐに変わるようなものでもありません。話の内容が子どもたちに腑に落ちるまで話します。

 

クラスがスタートして2ヶ月弱ですが、上のようなことは少しずつなくなってきて、子どもたちの声かけが増えてきました。中には私がしつこいから行動している子もいると思いますが、その行動は私のためでなく、自分たちのためであることに徐々にきづいて ほしいなと思います。

 

運動会の時期はクラスがまとまりやすくなります。それは共通の目標があるからです。しかし、運動会あけた後、クラスに共通の目標がなくなると、クラスは一気によどみます。それぞれが自分の好きなようにしたら、誰かが孤立したり、人間関係のトラブルが増えることもあります。だからこそ、4月からこの運動会あけを想定して、子どもたちにずっと語り続けてきました。共通の目標がなくなったときに、いったい何を目標にするのか。私は「よりよいクラスをつくる」だと思っています。クラスをよくするのは、先生ではなくて自分たち。そう子どもたちに理解してもらえるようにしてきました。

 

来週の運動会あけは、ある意味スタートです。

クラスの目標はなんなのか。クラスの係活動や掃除当番は何のためにあり、機能しているのか。

それぞれの学習や生活の目標はなんなのか。

もう一度問い直す必要があると思います。