「もう実践発表など、人前で話すことはしない」ってのはなんで?
なんで、この人たちは「どんな授業をする」という話をほとんどしないんだろう」
最近わいていた疑問。
その答えが昨日の話からわかったような気がする。
昨日の話し相手は、後輩だけど私よりもたくさん勉強して、たくさん実践を積んでいる人。
以前から「こんなすごいやつがいる」と注目していて、セミナーに一回出てもらったこともあった。
「あなたの実践をもっと発表したらいい」と言うと、彼は「いいです」と断る。
色々事情も話してくれたけど、結局の所「大事なことは伝わらない」っていうのが、理由だった。
そしてそれを聞いて納得。
彼のやっている実践は、とても面白く、話を聞いているだけで「すごい」と思うし、子どもたちもものすごく成長している(らしい)しかも結果として出している。でも、それだけを切り取って発表をしても、「あの人はすごいことやってるな」「突飛でもないことをしているだけで、教科を学んでいるわけではない」などと上辺だけでしか見なくて、大事な根底の部分を見てもらえないとのことだった。
たしかにそれはそのとおりで、このように何時間も対話をしているからこそ、彼が何を目指しているのか、何のためにやっているのか、見えてくることがある。それはキーワードとしては現れないけれど、感じ取ることはできる。しかし、実践発表ではそれは見えにくいというか、見えないだろうと思う。ただのふざけた人にしか見えないかもしれない。
ああ、つまり最近関わりのある人たちが、なんで対話を大事にしているか、というのはこういうことだろうか、と思った。人は意外と理解し合えてないし、お互いのことを知るには対話しかない。大事なことを伝えるためには、誤解をしないためには、対話しかない。そして、実践レベルの話し合いではなく観レベルの話し合いに、終わりはない。
こういうことかな、と思った。
うん、この夏の大きな収穫だ。「対話」