主体的な学び、生き方とは①
学校現場にいて、「主体的・対話的で深い学び」がかなり浸透されてきたと感じます。
しかし、その言葉を聞くたびに思うのです。
「主体的」って何?
子どもたちに「主体的」と求めている教師なり大人が「主体的」をどのように捉えているのか。
そして、それを実践しているのか。
それもなしに、子どもたちに「主体的」を求めようとも、中身のないものになってしまうとふと思いました。
私は、子どもたちによく「テーマに対する課題を見つけ、自分なりの方法で、解決すること」を「主体的な学び」として伝えています。「テーマ」が総合的な学習の時間の「環境問題」なら、環境問題に関する課題になるし、「生き方」だったら学校生活の送り方が課題になります。「主体的な学び」だけでなく、「主体的な生き方」にもなり得るでしょう。
でも、もう少し細かく考えていくと「漢字テストで100点を取る」という目標があれば、どうやってとれるか考えて、練習をして、テストにのぞむというのは、主体的な態度、学びではないかと思います。「宿題を毎日出す」という目標があれば、宿題をする時間を考えたり、忘れないように工夫したりすることも「主体的」だと言えるでしょう。
こう考えると、子どもたちに生活の中で「主体的」な場面はいくつもありそうです。ただし、上の例についてもう少し考えると、「漢字テスト100点という目標」、そのために繰り返しノートに書く、点数が取れない→諦めるということは「主体的」と言えるのか。「漢字テスト100点という目標」→先生に宿題を出されたから、練習→100点を「主体的」と言えるのか。
このように考えていくと、「主体的」であるためには、「目標」とか「取り組み」とかよりも、「その目標を達成するために自分ができること・すべきことは何か」ということを考えたり、「取り組んだことはどうだったか」と分析したりすることが肝心なのではないか、と思います。
つまり、「テーマに対する課題を見つけ、自分なりの方法で、解決すること」を「主体的な学び・生き方」にするには、「目標達成への見通し」「解決方法への振り返り、分析」が肝心なのではないか、と思います。
さて、このように考えて行った時に、子どもたちに求めている教師側がそれをできているか、
考えた時、「どうだろうか」と思ってしまいます。
自分は、「主体的な学び・生き方」ができているのか。
次回はそれについて考えてたいと思います。