いじめ考察①「いじめはなくならない」
いじめゼロ
いじめは犯罪
いじめのない学校を
そんな言葉をよく目に耳にします。
しかし、私はよく思います。
「本気で思ってんの?」と。
私の友人に新聞記者がいて、先日取材をうけました。実際にどうなんだ、と。
私はこう答えました。
「いじめはなくならない」
私がそう考える理由は単純です。
「学級」という閉鎖的で同質性の高い場所に人間集団がいれば「いじめ」は起こる
この本を読んでとても納得しました。
ヒトは、自分の身を守るために、集団の一員を攻撃する、と。だから本当に「いじめ」を見つけるんだったら監視カメラをつけるくらいしないと見つからない。
教育哲学者の苫野一徳氏も上の記事で述べています。
「学級」という制度がある以上、「いじめ」のリスクは必ずある。その中でそれをゼロにしようとするなんて、そもそもおかしな話だということです。
だいたい、大人の世界でもあるじゃないですか・・・・先日の神戸の一件は大きく報道されましたけれど、教師にかかわらず大人の世界であることは子どもの世界でも必ずある。それが「学級」という制度の中だとより拍車をかけていると思います。
とはいえ、友人から色々聞きました。
いじめを苦に自殺した子どもの親を取材をしているとのこと。
そういう親たちにとって
未だになくならないいじめのことをどう思うでしょうか。どんなに悔やんでも自分の子どもは返ってきません。せめて自分にできることは、ということで、新聞記者に訴えているのでしょうが、何も変わらない現状、忘れられていく事件のこと・・・想像しただけでも辛いです。
さて、私は「学級」という制度の中にいます。それを今すぐに打破できるような力はありません。だから、このリスクのある中で、最大限いじめが起きないように手を打っています。
しかし、起こるときは起きる。
しかも、自分の見えないところで。
早期発見、早期解決といいますが、本当にわからない。少しでも早く見つけて、解決に導くには「子ども集団」を育て、子どもと縦のつながりを作っておくことが肝心ではないかと思います。
つづく