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#48 子どもをすごいと思うこと

『学び合い』の子ども観は、「子どもは有能である」です。

 

 

この「有能である」という言葉の解釈は様々だな、思います。

よく『学び合い』実践者と話をしていると

 

「子どもはすごい」

「子どもを信じる」

「子どもに任せる」

 

と言った言葉で表現されると思います。

私自身、「子どもがすごい」と思うことはありますが、「子どもが万能」とか、「子どもは奇跡のような力を持っている」みたいには思いません。私は、「子どもは教師が持っていない力を持っている」と捉え、それを「すごい」と思うことがある、と考えています。

 

例えば、教師が声をかけても一向に勉強をしようとしない子が、ある子の言葉かけによって勉強するようになる、とか、教師がいくら教えても問題の解き方がわからなかったのに、ある子が教えたらわかった、なんてことは『学び合い』を実践していたらよくあります。これは、教師よりも子どもの方が教える力がある、という例です。

 

授業中だけでなく、学校生活における様々な事柄において、教師よりも子どもの方が解決できることはたくさんあります。特に人間関係に関することは、子どもの方が解決できる可能性が高いです。だから、子どもの力、集団の力を信じて、「待ち」ます。これが、私の「子どもを信じる」です。

 

でも、私はまだまだそんなに器の大きい人間ではありません。

子どもを「いつも」信じているわけではないし、子どもを「いつも」すごいと思っていないことがあります。待っていられなくて、口出ししてしまうことはたくさんあるし、『学び合い』の課題だって、かなり細かく作っています。子どもの力をもっと信じられたら、そんなことせずに「どーん」と待っていればいいはずです。でもそれができない。これが私が『学び合い』を実践する上でずっと課題になっていることです。私が憧れる先輩方は、ここで子どもを信じていられる。だから子どもたちも生き生きしている。そんなふうに思います。

 

あと何年かかるかわかりませんが、子どもたちをニコニコ見守りながら、子どものことを認めて、子どものことを信じられる教師になりたいと思います。

 

さて、最近この本を読みました。

 

 世田谷区立桜丘中学校の西郷校長が取り上げられていますね。

西郷校長も、言ってみれば「子どもは有能である」を突き詰めている方だと思います。

 

子どもの言うことを否定せず

子どもの話を聞き

子どもに共感する

 

その結果、校則がなくなり、テストがなくなった。そういうことなんだろうな、と思います。

どうしても「校則をなくしたから」「自由だから」という言葉が多くでてきたのですが、

僕はこの本を読みながら『学び合い』の目標とすべき姿だな、と思いました。

 

 

ちなみに、「子どもはすごい」と言っている人が本当かどうか、を見抜く方法が私なりにあります。それは、周りの同僚を「すごい」と言っている人です。この本に出てくる方で、「子どもがすごい」と「キレイゴト」で言っている人がちらほらいますね。そんなの本物じゃない、と思います。西郷校長が、本物だと思います。