いじめ考察②「いじめ」の原因は教師
私はよく「自分たちで解決せよ」「正しいことは正しいといえるクラスを目指そう」などと話をします。自立した集団を目指しているための言葉かけであって、いじめを防止することが目的ではありませんが、関係はあると思います。
また、「振り返りジャーナル」のようなツールを通じて、日々一人一人の子どもとつながり、子どもたちから情報を得られるようにしています。また信頼関係もそこで築くようにしています。
そして『学び合い』
『学び合い』のよさは、子どもたちの関わりがいわゆる一斉授業より増え、「1人も見捨てない」という共通認識があるため、子どもたちの人間関係が良好になります。また、教師による子ども集団がよく見えるようになります。「あの子、一人でいるな」「あ、ちょっと気まずい雰囲気だしてるぞ」子どもたちを観察しているとわかります。でも、注意深く見ていないとわからないこともありますし、すべてを掌握できるわけではありません。子どものことをすべてわかろうとするなんて傲慢だと思います。
あくまでこれらはいじめの「防止策」です。
そして「防止策」は決壊することもあります。
病気や災害と同じです。色々な要因が絡み合って、いじめは起こると思います。
どんなに真面目な子や正義を貫く子が学級に数名いたとしても大勢にはかないません。いじめを見かけて、「いじめはしたらダメだよ」と言った後、自分が同じ目にあうくらいなら、自分の身を守るでしょう。一緒になっていじめに参加するか、見ていないふりをするか、罪悪感に駆られたまま過ごすか、そんなところだと思います。
ここで大事なことを補足したいのですが、
いじめが起きる最大の原因は「教師」です。
いじめは子どもが起こすもの。子どもの人間関係によるもの。たしかにその通りです。
しかし、教師は無意識にいじめのきっかけを作っています。
宿題を忘れた子を叱責する
物忘れをした子を叱責する
勉強面で比べ合うきっかけをつくる
このように
「指導」と称して行なっていることの多くが
子どもたち同士の評価をつくります。いつのまにかそれが子ども同士にカーストをつくりあげていきます。
もちろん避けられないこともありますが、
いわゆる「指導」によって子どもたちの評価を下げてしまった後は、しっかりフォローしないと、子どもたちに「お墨付き」を与えてしまいます。
自戒をこめて。
つづく