一言物申す
小学生の頃
リーダーシップをバリバリ発揮している時期があった。担任の先生に「お前がこのクラスをよくするんだ」と言われて行動し、認められることが生きがいだった。しかしその翌年はそれができないクラスだということは小学生の自分でもわかった。
「お前がこのクラスをよくするんだ」
ある日、隣のクラスになった、その先生に言われた。その通りに「お前らのやってることはおかしいよ」と数名の男女に言った。すると次の日に机の上が落書きだらけになった。それから何を言うのもやめた。
中学生の頃
朝学校に来たら、机の上に蠅取り紙と画鋲がばらまかれていた。すぐに小学生の頃のことが蘇った。自分の言動をいろいろ考えたけれど身に覚えがなかったので、周りが何を考えているか怖くなった。それからは、目立ったことをせず、誰とも深く関わろうとせず、ただ残りの学校生活を受験勉強に費やした。
高校時代はそれに比べて気楽だった。
周りのことを気にせずに済んだ。
体力的に大変だったけど、熱中できることを見つけて生きている気がした。周りのことを気にせずに済んだ。信頼できる仲間と出会い、相手を信じで自分のことをしゃべれるようになった。
もしかしたらこんな経験が
私の学級づくりや『学び合い』実践の素地になっているのかもしれない。子どもたちには、「人を信じていいんだ」という経験やそう思える仲間を得て欲しいと思っている。その土台を作り、正しい行動を保証したいと思っている。
でも、イチ大人、イチ集団の中での自分はやっぱり弱い。信頼の保証のない中で「嫌われる勇気」を持つことは難しい。ただ、事なかれできない性分は変わらない。迷いに迷って、一言いう。
「…しましょうよ」
手が震えているのがわかった。