おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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備忘録

今日の『学び合い』の会の備忘録を…

 

・小学校の間にうまくいかなくても、その後の人生で何かが変わると信じる。

・「発達障害」は社会や集団にうまく適応できない時に起こるのであって、適応できれば問題はない。それを「かわいそう」と思っていないか。

・宿題は罪づくりを疑え。自学ノートで作文と自学を毎日せよ。

・漢字ドリルや計算ドリルは学校で終わらせてしまう。

・不適応発言は、応用行動分析学の観点からすれば、無視。適応発言を強化する。

 最後に見捨てないという発言をする。

・その一年間でおわっても、その後の学校生活を信じよう。

急げ

子どもたちの良好な人間関係づくりが必要だと感じた1週間だった。いや、みんな必要だと感じている。私が感じたのは危機感だ。

 

詳しいことは書けないが、いわゆる「指導」の限界を知った。例えば「いじめの何が悪いの?」という児童に何を我々教師は言葉以上に何ができるのか。大人が正しいと感じていて、子どもにそれが伝わるという前提が崩れたら何もできない。

 

子どもたちの人間関係づくりは急務だ。「いじめ」がないような学級の方が自分が居心地がいい、「いじめ」なんかするより、みんなで助け合っていた方が気分がいい。そんな感覚を身につける必要があるのではないか。

 

本当に、急がなければいけないと思う。

不機嫌

久しぶりに不機嫌になる仕事がふってきました。

 

各学校の担当者ごとに

データを探して

データを打ち込んで

いろいろ調べて

提出

 

一体、こういう書類は何回かけばよいんですかね。

「あれもこれも大事」っていったら減るわけがない。こういう書類を減らす方向に向かえないから教員の仕事が減らないんでしょうね。

ゆるい

私のクラスの算数の『学び合い』はゆるい。

 

その日の課題はすでに単元表に記入してあるので、

ほぼ全員が予習をしてきて、ほとんどの子が開始数分で課題を終了してしまいます。

 

それからは、計算ドリルをしたり、

次の時間の予習をしたり、

予習でうまく解けなかった子を教えたり、

全然違う科目の学習をしたり、

 

それぞれのペースで学習しています。

 

その自由さゆえに、課題達成に向けてバリバリ勉強する感じがなかったり、時間の有効活用ができにくいところが課題ですが、そのあたりはさらっと声をかけたり、ブラブラしただけで解決できます。

 

新しい発見があるなあ。

話をさせてください。

最近、子どもたちにこう言います。

「話をさせてください。」

「おしゃべりを遠慮してくれませんか。」

「少し、していることをやめてください」

 

自分でも不思議です。

今までは、さも先生の話は聞いて当然という態度でした

「話を聞きなさい」

「失礼なことはしない」

「最後まで目を見て聞きなさい」

こんなことを言っていました。

 

なんで、変わったのか。

それは、子どもに私の話を聞く、義務などないからです。

また、大人に対して、保護者に対しては「聞いてください」「話をさせてください」

という態度なのに、いざ子どもに対してはそんなことをしないなんて、傲慢なのではないかと思うようになったからです。

 

だからこういうスタンスでいます。

「みんなにとって必要なことなので、聞いてください。話はできる限り、短くします」

こうお願いしています。もちろん、話す内容は、子どもたちにとって必要な指示や課題の提案です。そして、なるべく簡潔に、分かりやすく話をします。

 

こういうことを続けてきたからか、子どもたちは私の話を聞いてくれます。

『学び合い』は語りが何より大切です。その語りを聞いてもらえる環境がなかったら

元も子もありません。実は、昨年度そのあたりをかなり苦戦しました。

 

 

教師の当たり前を疑わなければいけませんね。

 

ズキン

 

『学び合い』を成功させる教師の言葉かけ

『学び合い』を成功させる教師の言葉かけ

 

 久しぶりに読んでいて、「ズキン」とくる文章がありました。

 

 

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あなたは、皆から慕われる教師なのだと思います。子どもたちは、あなたから褒められることが大好きです。さて、そうなるとクラスの皆はライバルになりませんか。

あなたはしっかりと指導するタイプの教師かもしれません。あなたの言っていることは、筋が通っており、反論の余地がありません。そしてあなたも反論を受け付けません。子どもたちには「でも…」という気持ちがあります。そのイライラを誰にぶつけたらよいでしょうか。一番弱いクラスメートですよね。

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うーん、まさにこれは自分に言えると思います。

慕われているかどうかわからないけど、子どもたちは「褒められる」ことにとても敏感だと思います。また私の評価に対して比べあっている面も見られます。

教師としては善意であって、子どもたちにとってみれば、無意識に競争意識を持たせていることがあるかもしれません。

 

そして、指導がきっちりしていて、反論の余地がない。

一方的に押さえつけるような指導はしていないつもりですが、私の話し方や、態度に対して子どもたちは何らかの圧力は感じていると思います。確かに反論しようがない面もあると思います。さて、だから自分はどのように話していけばいいものか。

 

最近は、アドラー心理学を基盤に、

「なぜそんなことをしたのか」

「これからどうするのか」という話をするようにしている。

そしてなるべく、子どもに話す時間を作るようにしている。

 

あくまで何となくだけど、今までの子どもの反応とは違う。

反発するようなことはない。

これがいいって、いう指導はまだまだ見つからないし、それを見つけてしまったところで、本当にそれが正しいのか疑わなくなってしまっても困るから、気を付けていこうと思う。

びっくりと、ごめんね

「いつも先生に頼ってばかりなので、自分たちで話し合いしたいです」

今日、週に1回、円になって集まる時間にある子が言い出しました。

「え?」びっくりして私は言葉を失いました。

「先生は、お茶でも飲んできてください。終わったら呼びに行きます」

周りの子達も乗り気です。
「バイバーイ」と子どもたちが手を振ります。

 

思わぬ行動だったので、
驚きと喜びがありました。
そして、申し訳ない思いもありました。
心の中で「自分たちから進んですることはないだろうな」なんて思っている面もあったからです。

 

そんなことを、考えていたら
別の子が私を迎えにきました。
教室に入ると、ニヤニヤしている子達。
「え、何話してたの?」と聞くと、
笑って誤魔化されます。
まあ、私は中身を知らなくてもいいです。
自分たちで何かをしたってことが大事ですから。

卒業まであとわずか。
なんか自分の役割がなくなってきた感覚です。
でもあと少し、彼らの成長に携われるよう
過ごしていきたいと思います。