自戒をこめて
【自戒をこめて】
先週の『学び合い』の会の後、「なんで単元通した『学び合い』をしているのか?」という問いに対して考え続けた結果、「自分の都合」ということに気づき、子どもたちに話をして、辞めることにしました。しかしまだ何かが足りない。
その日、ある方の投稿が目にとまりました。翌日、自分自身の振る舞いを思いっきり改めることにしました。簡単に言えば笑うようにしました。事情は説明したのですが低学年の子たちには、奇妙としか思えなかったと思います。最初はふざけていると思っていたようですが、だんだんそういうわけじゃないことに気づいてきました。
笑いながら過ごしていると、あることに気づきました。子どもたちの姿がなんだか微笑ましく感じるのです。その日の一斉授業だって、『学び合い』だって同じ。子どもたちが「イキイキしている」ように見えます。それをずっと眺めて最後に思ったことを語りました。
そんなことを意識して一日を過ごしました。ものすごく疲れました。ここ最近で一番疲れました。
でも妙な爽快感がありました。ああ、これが私に足りなかったことなんだろうと思いました。
結局子どもたちを信じていると思い込んでいただけで、信じていなかったんだと思います。
『学び合い』をしていると思い込んで、自分の都合に合わせて、学び合わせていただけ、または私の理想的な『学び合い』を押し付けていたんだと思います。不安なことには、言葉をかけ、手をかけ、都合よく付け加えていたんだと思います。
だから一度辞めてみました。
自分自身を縛っているものをすべてほどいて笑ってみるという荒治療を行いました。(いきなりされた子どもたちはいい迷惑でしょうが)
これがおそらく私にとって必要なことだろう、と思ったわけですが、やはり自信がない。だから大阪の会で確認しよう、そう思いました。
つづく(大阪旅行記①へ)