やり方・考え方・在り方・生き方③
①にも書きましたが
今まで自分が悩んできたのは「在り方」だということ
にも気づきました。
低学年を担任している時、私は毎日自分の不甲斐なさに、落ち込み悩んでいました。
「子どもは有能である」
「学校は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、 より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」
この二つの観のことは分かっているつもりなのに、それを教師である自分自身が子どもたちに伝える身なのに、どうしてもできない。
ふとした時に、イライラしている自分
子どもを追い立てている自分
多様性を認めるとかいいながら、型にはめようとしている自分
そういう自分が嫌で、自己嫌悪を繰り返していました。
おそらく「やり方」で言えば、かなりのレベルのことをやっている自信がありました。
しかし、「在り方」が伴っていない。
結果、子どもたち不在の「教師がやりたいことをやっているだけ」の実践を続けていたと思います。ある時、『学び合い』の会で「おにさんは、いったい何をやっているの?」と言われたことがありましたが、まさにその通りです。
一方で、『学び合い』の会に常時メンバーの先輩の授業を見にいくと、子どもたちの雰囲気が
「あたたかい」と感じました。私は、これこそ「『学び合い』のクラスだ」と思いました。
そして、このようなクラスを作るのは、教師というか、人としての「器」だろう、と感じました。『学び合い』の考え方、在り方、生き方を突き詰めた姿、とも言えるでしょう。
私には5年10年で到達できるレベルではない、と感じました。
その後も、「ああ、だめだ自分」と「少しはマシになったかな」を繰り返して、今に至ります。『学び合い』を実践することって、こういうことなのかな、とも思います。
そして、ゴールがない。
ある方が、「虹を目指すようなもの」と言っていました。
その通りだな、と思います。目の前に見えている虹をひたすら追い求める。
掴むことはできないけど、進み続けることはできる。
『学び合い』を実践するって奥が深いなあ。
終わり