どんな授業を目指していたのか
一度、『学び合い』を実践経験があり、自分なりの実践を追求している方の話を聞いた時に、「全員達成」「一人の見捨てない」の先の授業がある、と考え、模索していました。一方で、「全員達成」「一人も見捨てない」を追求する実践も見て、子どもたちの姿に驚きつつ「やっぱり全員達成や一人も見捨てない」にこだわっていくべきでは、と思う時期もありました。
結局、いったい自分は何を目指しているのか、分からなくなっていました。
さらに追い討ちをかけるように
『学び合い』の先
『学び合い』が学習指導要領に溶け込んでいる
といった話を耳にしました。より一層頭は混乱し、自分はいったいどんな授業を目指しているんだろう、と思っていました。
でも、最近、分かってきたように思います。新型コロナ対策のために「学び合う」ことを制限されることで、「どんな授業だったら、子どもたちにとってよりよいのだろう」と導き出した「答え」が実は、私が今まで目指してきた授業だったのです。
つまり、私が今まで行ってきた授業から「学び合う」ことや「一人も見捨てない」すなわり『学び合い』の要素を除くことで、何を目指していたのか、はっきりしたのです。「子どもたち一人ひとりが自身のペースでよりよく学ぶ授業」です。
この授業は、今までやってきたことと、見た目は大きくは変わりません。
黒板もあまり書かないし、私の説明も短い。
課題を与えて子どもたちが自分で取り組む時間をたっぷり確保します。
ただ「学び合わない」「一人も見捨てない」がほぼない。
あえて、この二つが外されたことで、よりこの二つの重要性に気づきました。
それは「一人で学べない子もいること」「教師の関わりだけでは学べない子もいること」「人は、周りから刺激を受けてやる気を出したり、周りから学び、修正を加えながら学び、成長していくこと」です。
今までは、それが『学び合い』の授業の中で表面化されずに、解決されていたんだと思います。薄々分かってはいましたが、今年のこの状況でより顕著になったと思います。だから、あえてルールの範囲内で「一人も見捨てない」や「学び合う」ことは行うようにもしました。
もちろんこれだけでは、足りないのは明らかですし、もっと多くの関わりによって人間関係は形成されていくものでしょうから、これから先が大変心配ですし、「一人を見捨てる」状況は多いに考えられるでしょう。
だからこそ、今まで子どもたちに頼っていた「フォロー」をより多く行う必要があるでしょう。ある意味私にとっては、とてもいい機会になりそうです。
今日、校長が出していた学校だよりに、新しい学習指導要領のことがのっていました。
短い文でしたが、校長がどこを大事にしているか、その文章を読めばわかりました。
「お、これは今自分が行っている授業と整合性があるぞ」と思いました。
さて、これをどうアピールしていくか。今度の面談の時がいいかな。