『学び合い』と「やりたいこと」
僕は今年度、『学び合い』を実践しているとは思っていません。
それはなぜか、ずっとそれを考えてきました。
結局それは、私にとっての『学び合い』は、「関わり」が必要不可欠だということが分かったからです。「関わり」がなければ、私が考える「一人も見捨てない」は成り立たないし、子どもの成長も学びも私が想定する半減、いやほぼない、に等しいと思います。だから私は今年度『学び合い』を実践していない。
ただ、おかげで自分が「教師として何をやりたいか」がいつもよりも見えるようになりました。一番分かりやすかったのが、学習の取り組み方。課題を前もって単元まるごとわたし、それを見ながら子どもたちは学習を行う。自分なりに考えたり表現したりする要素があって、
自由度も高い。すなわち「自分で考えて、決めて、行動する」学びです。そして、その中でも
「かしこさ」のある学びを目指してきました。
今まで『学び合い』の実践の中でそのような授業を行なってきましたが、「説明をする」という課題を入れ込むことで、より「自分で考える」「かしこさ」が際立っていたと思いますが、今年度は「関わり」ができないので、子ども同士で行なっていたことを、私一人で見ることで、なんとか達成することができていました。子どもたちは自分なりにノートに書いて、まとめて、表現していました。
このような実践を
『学び合い』を通じて見出した、自分がやりたいことーーーー①とします。
では、次に今年度はできていないけど、
『学び合い』とは関係なく、自分がやりたいことーーーー②
です。
・音楽発表会
・運動会
この2つです。厳密にいえば、『学び合い』の実践で見出した「どのような子どもに成長していってほしいか」が入ってはきますが、基本的にこの2つに関しては、自分が主導で指導を行います。「俺が目立つからな」と言わんばかりにやってます。
最後に、
『学び合い』で自分がやりたいことーーーー③
最近になって、はっきりしたのですが、僕は自分に関わるすべての子が成長してほしいし、楽しい学校生活を送ってほしいし、幸せな将来を送ってほしい。こう書くと、そう思えない自分の存在も知っているので、少ししんどくなるのですが、ひとまずそう書いておきます。
で、『学び合い』で自分がやりたいこと、はほんの一部の、勉強が苦手な子、対人関係がうまくいかない子、家庭環境が厳しい子・・・そのような子たち、その周りの子たちが少しずつ成長していくことが、私が『学び合い』でやりたいことで、『学び合い』じゃないとできないことだと思っています。
つまり、私にとって③ができないと、『学び合い』を実践している、とはいえないのです。
そして今年度は①しかできていなかった。つまり「自分のやりたいこと」はできる範囲でしたけど、本当にやりたいこと③ができていないから、もどかしいわけです。一番大事なのはやっぱり③で、そのような『学び合い』実践者なんだろうな、と思います。
読んでいる方にとっては、なんのことやらという内容になったと思いますが、
これ結構大事なことだと思っています。
『学び合い』は考え方だから、一斉授業でも、いわゆる「学び合う」授業でなくてもできるんだ」と聞くことも、言われることもあったけど、僕は今明確に言えます。
「ぼくの考える『学び合い』は一斉授業ではできない」と。
要は、僕の実践する『学び合い』は「おに先生実践」であり、①②③すべてが「おに先生実践」なんだと思います。たいていの場合、②のような『学び合い』とは関係のない、というものはほぼないんだと思うのですが、やっぱり③ができているかどうかが、『学び合い』を実践してるかどうかの分かれ目なんだろうな、と思います。
このように考えると、
『学び合い』×ICT
『学び合い』×○○
というかけ算に対して、それが成り立つかどうかの判断基準は、
③があるかないか、と思います。