国語、『お手紙』の教材研究がありました。
お手紙をもらうことを望んでいた、登場人物であるがまくんに、もう一人の登場人物のかえるくんはお手紙を書きます。
自分でわたすのではなく、かたつむりくんに届けてもらうように、お願いするわけですが、後から自分がお手紙を出したことをがまくんに話します。
この「話した」ことは、本文に書いてあるんですが、よくこの教材の指導案を見ると、
「話してしまった」とあります。
ほんの小さなことなのですが、「してしまった」のは解釈です。でも、解釈だと捉える方は少なく、それが当たり前のように読んでいる節を感じます。
他にもこの作品の教材研究には、解釈がたくさんあって、それがスタンダードになっています。解釈することは悪いと思いません。というか、解釈なしに読むのはできませんが、1つの解釈に限定すること、それが解釈だと認識しないことはどうかな、と思います。
ふう。