「個別最適な学び」ってね
前回の続きです。
「個別最適な学び」がはっきりと明記されたのはこの答申だと思います。
「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号) 令和3年1月26日 中央教育審議会
この答申で一番気になったのは
最適化するのは誰?
ってことです。つまり主語ですね。答申の一部を引用してみましょう。
子供が「個別最適な学び」を進められるよう,教師が専門職としての知見を活用し,子供の実態に応じて,学習内容の確実な定着を図る観点や, その理解を深め,広げる学習を充実させる観点から,カリキュラム・マネジメントの充 実・強化を図るとともに,これまで以上に子供の成長やつまずき,悩みなどの理解に努め,個々の興味・関心・意欲等を踏まえてきめ細かく指導・支援することや,子供が自らの学習の状況を把握し,主体的に学習を調整することができるよう促していくことが求められる
(中略)
「指導の個別化」に より個々の児童生徒の特性や学習進度等を丁寧に見取り,その状況に応じた指導方法 の工夫や教材の提供等を行うこと
んんん
一人ひとりの子供達の「成長やつまずき、悩みなどの理解に努め」「個々の興味・関心・意欲等を踏まえて」「きめ細かく指導・支援」して・・・
「児童生徒の特性や学習進度等を丁寧に見取り」「指導方法の工夫や教材の提供」を行う・・・
でた!パワーワード。
き め こ ま か く
あのね、一体教室にどれだけの子どもがいると思っているんでしょうか。
どんな子どもがいると思っているんでしょうか。
先生が、一人ひとりの成長を把握し
先生が、一人ひとりの悩みなどの理解し、
先生が、個々の興味・関心・意欲を踏まえて
先生が、特性や学習進度を丁寧に見取り
先生が、指導方法の工夫や教材の提供を
できるわけないじゃん!!!
そうか、「指導の個別化」というのは、先生が一人ひとりに合った個別指導をしろ、という
言葉どおりの捉え方だから、こんな無茶がボロボロでてくるわけね。
なら、もう一度問います。
最適化するのは誰?
考えてもみてください。
あなたは、自分の学びを最適化してくれたことはありますか。
場所、時間、方法、内容・・・すべてお膳立てされたことありますか。
そのほとんどが不自由になり、結局「自習」が一番の学びの時間ってことに行き着いた人は
多いのではないかと思います。
もう大人見ればわかるじゃないですか。
喫茶店で本読んでいる人
電車の中で本読んでいる人
図書館で本読んでいる人
人によって「最適な場所」ってバラバラですよね。
そして、それ自分で見つけるしかないですよね。
他人から強要される「最適」なんて最適じゃない。
で、それを、一人の教師が、30人近くの子ども一人ひとりに、やれと。
で き る わ け な い!
あーーーーやっと、ここまできた。
やっとモヤモヤをしっかり払拭できた。
ちなみに、この指導の個別化、発する人によって解釈が異なるようです。
基本的には、主語は学習者のはずですが、この文科省の答申のように、
教師が主語になっている場合もあるみたいです。
繰り返しになりますが、「個別最適化」できるのは、その人本人のみ。
学校でいったら児童、生徒。
その「最適化」できるための「機会」与えるように、と奈須先生は言っているように
僕は思うんだけどな・・・答申になるとすり替わるのですね。残念。
さて、この次は「個別最適な学び」を実現できるのは、現状として
『学び合い』しかない、という記事を書きたいと思います。
それではまた!