#40 どこを見ているのか
2学期に入り、校内授業研究が行われるようになった。
校内の研究テーマに沿って、授業者が指導案を作成。
複数の教師が授業を参観し、その後協議を行うというものだ。
はっきり言って僕は、この校内授業研究に意味を感じていない。
時間と労力のかけた割に、結果が伴わないからだ。
授業後の協議会で話されることも、だいたい同じ。
徹底した分析や課題改善はなく「子どもたちが頑張ってたからよかったよね」で終わる。
⚪︎⚪︎さんはーー考えていて、〜〜と表現していた。
△△さんはーーー考えていたようだが、うまく表現はできていなかった。
◻︎◻︎さんは最初から最後までーーーだった。
本来なら30数人の子どもたちの学びを分析し、思考や行動の変化はあったのか、どのように関わり、何を表現したのか
詳しく調べていくことで、その授業の良し悪しが決まるはずだ。
はじめからそこまでの分析はせず、数名の子どもから気づいたこと、数名の子どもが話をしていたことを拾って
自分の教育観と照らし、あれこれ言って終わる。茶番としか思えない。
教員になって数年はこのような授業研究に前向きに参加し、自ら授業をすることもあった。
ある年は自身の実践から『学び合い』に関心を持ってもらおうとしたり
ある年は徹底して校内のテーマの枠で自身のやれることをすべて盛り込んだりもした。
結局、いくら時間をかけて準備しても、労力をかけても大した影響も学びもなく終わることしかなかった。
つまり、やれば終わり。授業をすることが目的。そう理解した。
ならお前の考える授業研究って何なんだよ、って言われそうなので書いておく。
まず、くだらない研究テーマをなくす。現在の公教育で教科研究するなんて無理に決まっている。
学習指導要領に書いてあることを具現化する時間があるはずない。
「子どもと教師がイキイキと学ぶ学習指導」くらいでいい。
「イキイキって何だよ」って言われたら写真か動画でも貼って「これだよ」ってくらい示すようないい加減さでいい。
そして、もっと手間をかけずに、気楽に授業を見せ合いたい。
子どもの様子を見ながら、教師同士が子どもの学びや成長をたくさん見取りたい。
どうすれば全員が参加できるようになるか。どうすれば子どもたちはイキイキと学ぶのか。知的好奇心を高めることができるのか。
そんな話が授業中だけでなく、放課後にも話せたらいい。
ま、結局のところ『学び合い』の授業中の教師の見取りなんだけど、
これを理解するには『学び合い』を実践していないと無理だから、争わずに校内研究に参加しているフリをしている。
内心はいつも「くだらない」と思っている。十数年「くだらない」と思っているとイライラも何もしない。