道徳を
今年、「道徳の授業どうやっていこうかな」が自分のテーマでもあった。
・できるだけ準備に時間をかけない。
・授業をパターン化したい。
・子どもたちに道徳を学ぶ意味を伝えつつも、子どもたちがどんなことを感じ、どんなことを学んでいるのか、尋ねながら、授業を作っていく。
こんなことを考えていました。
低学年の子たちは、ペアで話すとか、グループで話すといっても、ただの言いっ放しになって
全く頭を働かせていないことが、年度当初にわかっていた。
「はい、グループで話し合ってね」なんていうのは、完全に放任。
それをどう意味のあるものにするか、ずっと考えていた。
まずは、なぜ人と学ぶのか。
子どもたちの話を聞いていて感じたのは、子どもたちは自分と他人の考えが同じだったり、違ったりすることを意識していないと、全く気にしていないということ。だから「違った?似ていた?」と問うことで、話しあいに意味が出てくる。
そう、そもそも自分と他人は違う考えがあったり、似ていたりするんだ、という気づき。
それすらも低学年は、気づく必要があるんだ、ということを子どもたちの様子から知った。
違いや似ているところの共有のあとは、何か共通の課題に対して、一つの答えを出したり、
自分の中の葛藤に気づいたり、そういう授業にしていきたいと考えた。
これはどの学年でも言えることだけど、子どもたちは「いい子」であろうとする。
嘘を言うこと、
悪口を言うこと
仲間はずれにすること
それをダメだ、と思っていて、授業中にそれを言うのもダメだと思っている。
実際にはそういうことしてしまうのにね。
これを道徳の授業の中でなんとかほぐしていけないものか、と思った。
まあ、難しい。
でもやる価値はあるよな、と思った。
今のところ、授業のパターンとして確立しているのは、
・話の内容について感想の交流
・話を読んで、自分にも似たような出来事はなかった思い出すこと
・話を読んで、登場人物の行動に対して是非を考えたり、自分だったらどうするか考えること
このようなパターンが考えられるかな、と思っている人。
そして、一つのテーマについて、自分の考えを書いて、それを少人数または、全体で交流。
この少人数というのがクセもので、その時々でメンバー変えられないかなあ、と思っている。
いつも同じメンバーと話すことで、話しやすさはあるけど、話の内容によっては、話が深まらないことは
容易にあり得る。対話し続ける集団になれば、できるんだろうけど。