12月にいつも思うこと
12月になりました。師走ですね。
学校にいた頃は、特に忙しい時期でした。
6年生を担任している時は一番だった、とも思います。
何より忙しさに加担しているのが「通信表」でしょう。
一応「評価」といえるものなのですが、法規上出さないといけないものではないです。
出さないといけないのは、学年末の「評定」
私が知る限り、その「評定」は学期末ごとの「評価」をもとに作成するのですが、
その「評定」は指導要録にしかのらず、子どもや保護者に伝わることはほぼないです。
さて、「通信表」ですが
これにかける時間と労力に見合った教育効果はあるのでしょうか。
私は「ない」と思います。
小学校の高学年だったら、10数教科の評価と記述評価、所見が必要で一枚作成するのに、
ものすごい時間と労力を要します。普通に仕事をしていたら、勤務時間内に私は終わりません。残業や土日出勤をしないとおわらないです。
ところが、この通信表、終業式の日に配布して子どもたちはそれを見るわけですが、
どんな反応かというと
「よくできるが○個あった」
「がんばろうがなかった」
そんな声が聞こえてきます。
正直、こんなことのために時間と労力をさいてきたわけではありません。
一つひとつの評価に意味があり、願いがあります。
でも、通信表の項目を見たら3段階の評価があるだけで、一体何をどう評価したか子どもには分かりません。これが嫌で子どもたち1人1人に話をしたりすることもありますが、子どもたちは長期休みの前でウキウキしていて、落ち着きません。1人1人と話をしている間、教室を離れられる状態にもないし、待たせられる状態でもない。とっとと通信表をわたして、別のことをした方がよいと思ってしまいます。最近はどちらかというと、それぞれの評価の意味を説明し、通信表はわたすだけ、にしています。
そして最大の問題が、その通信表を見た保護者からクレームがあるということです。
基準を設定して、なるべく客観的に評価をしても、評価に対して納得のできない保護者がいます。「なんでうちの子は下がっているんだ」「ここの評価の説明をしろ」といった具合です。
それを説明するために、きちんと評価しないといけないのですが、クレームをつけてくる保護者と対応するストレスを考えたら、評価基準がどうしても甘くなることもあるのではないかと思います。
こうなってくると一体何のための通信表なのでしょうか。
もうこんなものをわたすのはやめて、12月は保護者と子どもの三者面談期間にし、
保護者にわたすのは、テスト等の記録のみ。あとはそれをもとに話をする。
それが一番、子ども、保護者、教師にとって有意義なのではないか、と思います。
まあこういうことをしようとすると、「通信表のよさ」みたいな話になってくるわけなんですが、残業をしたり、土日出勤をしないと作成できないものに「よさ」と言われても全く納得できません。
という不満を抱えながらも通信表作成をしている先生たちはたくさんいることでしょう。
どうぞ、体に気をつけて無理されないで頂きたいです。