おに先生のブログ

小学校の先生のブログ 『学び合い』やってます

成人の日に懺悔する

今日は初めて持った卒業生が成人の日を迎えるとのことだったようです。

小学校を卒業した後、中学、行った人は高校と色々な出会いや思い出ができているんだから

私のことや、小学校6年生の時のことなんて人生の一時のことでしかないんだろうけど

「思い出してくれたら嬉しいな」と心のどこかに思っている自分がいます。

未練がましい僕の性質なのか、教師の性なのか分かりません。

 

小学校の6年生の担任をしただけの存在の僕が、今だに「先生」なんて呼ばれるなんて

おこがましいし、偉そうに「お前たちの小6の担任だぞ」なんて絶対に思いません。

むしろ「あんな先生で申し訳ない」という気持ちの方が強いです。

 

小6の後半から、クラスの雰囲気がしっくりこなくて焦り、数名の子どもたちと気持ちが離れてしまいました。若さゆえ、未熟さゆえ、子どもたちとの距離感をうまくとれなかったんだと思います。

 

だからといってその時、何かできたかといえば何もできなかったと思います。

ただただ、最後まで一生懸命にやるしかありませんでした。

後悔はしていなくても、懺悔はしたくなります。「ああ、あんな先生で申し訳なかった」と。

 

あの6年生担任の経験があったから、教師として成長できたと思うし、次に担任した6年生の時には、同じような失敗はしませんでした。(その時はその時で違う悩みがあったけれど)

ただ、後から僕がいくら成長しようが、他の6年生で改善しようが、担任した子たちとの1年間が変わるわけではありません。だから、思い出すたびに、苦しくなります。「すまん」と。

 

しかし、こんなことを思っているのも単なるエゴではないかと思います。成人になった卒業生たちは、私のことなんて全然覚えてなくて、僕の懺悔なんてどうでもよくなっているのではないかとも思います。おそらくその方が可能性が高いでしょう。だから今更「懺悔します」なんて言っても何にもならないのも、分かってはいます。

 

だからこそ「思い出してくれたら嬉しいな」と思っているのかもしれません。

もしかしたら楽しい思い出しか残っていなくて、僕は救われるかもしれない。

 

でもそんなことは叶うことではないし、願うべきことではないと思います。

教師たるもの、過去を振り返ることはあっても、離れた教え子たちのことは手を振るだけで、

今まさに目の前にいる子のことを考え、前身していくべきなのかな、と思います。

 

今日、集まって、話をして、どんなことを思い出しているのかな。

1人でも僕のことを思い出してくれたら声をかけてあげたい。「おめでとう」

いつか会おうぜ。