令和4年度から教務を担当させていただいています。
私の勤める自治体は、主幹教諭が教務をすることにほぼなっているので、
教務になる覚悟で試験を受けました。
教務になるということは、学級担任から外れることを意味します。(最近は人員不足のために、教務が担任を兼務することもあります。私も昨年度しましたが、大変です)つまり、子どもたちと授業をし、学級づくりをし、つながりや思い出をつくることはなくなるわけです。「先生の仕事から離れる」とも言えるでしょう。
教務になろうと思ったのは、学級担任をしたくないからとか、もう十分だというわけではありません。
まだ学級担任としてやりきったという実感を持てていませんし、私の指導力は十分ではありません。
私が教務になろうと思ったのは「学校をよりよくしたい」と思ったからです。
手前味噌ですが、今の私は、どんな学年のどんなクラスでも「ほどほどにいい感じ」にすることはできます。
『学び合い』は子どもや学校、クラスを選びません。
しかし、自分が担任する学級を「いい感じ」にすることはできても、隣のクラス、よその学年まで影響を与えることはあまりできません。
研究主任、ICT推進、体育主任など、学校全体に関わる仕事もあるにはありますが、限定的です。
私は何度となく、イチ学級担任としての限界を感じていました。
どんなに自分が一生懸命『学び合い』を実践しても、他に『学び合い』を実践する人がいなければ「おに先生の『学び合い』」で終わってしまいます。子どもたちから「『学び合い』がしたいです」と言われ「今の担任の先生のやり方に合わせてね」と言ってきたことか。
「学校体制がおかしい」と思うことに意見を言っても通らない。
同僚が子どもたちの悪口や批判を言ったり、服務上よくない場面を見つけたりしても、指摘することはなかなかできない。
しかし、教務ならまだ学校体制に関わることができるし、同僚のおかしさに対して指摘をすることができます。
自分の学級、子どもたちとの関わり、授業、つながりをなくしてでも、僕は学校をよりよくすることを取ろうと思いました。
そして、試験をうけ、教務になり、今に至ります。
1年目は、教務の仕事自体に慣れておらず、途中から兼務をしたり、トラブルが続いたりして大変でしたが
今年は学校運営に手応えを感じることができています。私が提案したことが通り、そのまま学校の仕組みや運営につながっていきます。
職員室内の雰囲気がよくなったり、先生たちが働きやすくなったりしたことも、実感しています。
今年度は幅広く教室に入っているので、子どもたちともつながりができています。
昨年度担任した子達に会うと「学級担任もいいな」と思うことはあるけれど、僕はまだ教務の仕事を楽しんでいきたいなと思います。