おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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zoom会議①

Zoom会議が行われました。

今日は福岡の先輩といつもの方々をつなげる会。

私が尊敬する先輩方のことをもっと知ってほしい。そしていったいどんな話になるのか、どんな捉え方をするのか、どのような言語化をしてくださるのか、そんなことを考えながらお誘いしました。

 

結果・・・すごかった。

語っていることはそれぞれなんだけど、核は同じ。

核はおそらく同じなんだけど、方向性が若干違う。

 

 

ベクトルは違うけど、それは球面のようになっているから、どこかで同じ方向を向くし、

核の部分は同じ

 

そんな例えもいただきましたが、まさにそうって感じ。

それであって対立している感じでも「あなたはそうなのね、あっそう」という感じではない。

「あーわかるわ〜」という感じを出しながら「私はこう思うんだよね〜」と。

まさに、教室の子どもたちのよう。

 

特に「一人も見捨てない」の捉え方の違いが面白かった。

違うといっても「捉え方」が違うだけで、やっぱり核は一緒だと思います。

言葉にはしていなったけど「子どもたちの幸せ」を目指していることは同じなんだろうな。と。

また、子どもたちだけでなく、自分の幸せもそこにあるような気がします。

 

まだ他にも話題があったので、②で書こうと思います。

いや本当、zoom いいなあ。

卒業式案

私の知る限り、今行われている卒業式って

 

「大人の都合」

 

なんだろうなあと思います。

 

地域の大人たちの目

保護者たちの目

教師たちの目

 

そんなのばっかり気にしている気がする。

何とか変えたいけど、その「目」を気にして変えられない。

「いつも通り」が一番いいんだろうな。

 

はあ。

モヤモヤしているのは自分だけなんだろうか。

 

高校入試

 先日、行われた高校入試の問題、国語を解きました。

なんで解いたかというと、今の高校入試事情を知れば、中学校で求められることがわかるから。

そして、それを見通したことを小学校高学年で話せるから。

そして、単に興味本位から。

 

解いてみました。

評論は簡単でした。問題文の構造がとてもわかりやすく、筆者の主張が明確な部分を使っている。

答えの根拠も見つけやすいので、解きやすい問題でした。

 

小説は、やや難しかったです。

最後の問題の言い換えができなかった。

 

古文はヒントを入れまくってるのは昔からなので、特に問題なし。

作文は、おそらくいいでしょうw

 

総じて思ったこと。

・私が高校入試を受けていた頃とあんまり変わらない。

・やや記述式の問題が増えているように思う。

・国語の問題を解くにはやはり文章が読めないと話にならないだろう。ということは、語彙が必要だろう。

・もうちょっと「こんな生徒を育てたい」という想いがにじみ出ていると思いきや全然そんなことなかった。

・塾で指導を受ければおそらく点数はあがる。結果塾通い&夜遅くまで勉強というスタイルが変わることはない。

・もっと大人が頭をひねるような答えのない問題が出されるのかと思いきや、普通だったのがショック。

 

 

こんなことをしている小学校教師はなかなかいないでしょうね。暇かと思われそう笑

でも解いてみてよかったです。いい勉強になりました。

揃えるのと離れるのと

淡々と一日が過ぎています。

もうすぐ1年間が終わります。

 

今考えてるのが、宿題を変えること。

漢字・計算・音読の3セットから最後だけ脱却させてもらおうと思っています。

 

この3セット、学校で揃えましょうということになっているので、揃えてるのですが、最後なので少し離れさせてもらおうかな、と思っています。

 

というのも、30人の子に同じ宿題出すなんて本当にナンセンスだと思います。漢字書くのがすごく苦手感ある子もいれば、算数が苦手な子もいる。逆にそれぞれが得意ということもある。

 

なのに、同じものを同じ量だけさせるなんて、、ああ、なんでこんなことやってるんだ、といつも悶々としていました。

 

嫌だなあと思ってる子

簡単だなあとおもっている子

宿題だからと思考停止して取り組んでいる子…

 

昔はそんなこと全く考えずに宿題出して、

出しているか管理して

点検して

返却しての繰り返しをしてたから

偉そうなことなんも言えないけど

 

本当、何をやっていたんだ、と。

だから最後の最後に、取り組みたいと思います。自学。

 

そして、校内で提案したい。

本当にそんな宿題でいいんですか?

と。

内心

笑ってしまう出来事がありました。

詳しくは書けないんですけど

子どもたちの成長を感じました。

 

「先生〇〇さんがね、〜〜した」は、

お家の人にお腹すいた!ってのとおんなじだよ。ってのがわかってきたかな。

スターライトパレード

器楽で演奏してみて知った曲って結構あります。その一つがこれ。「スターライトパレード」メロディーから入った曲なので、SEKAI NO OWARI ファンには申し訳ないんですが、歌詞よりもメロディーで好きになりました。


この曲聞いていると演奏した4年前のことを思い出します。その時担任していた3年生が今は6年生。もうすぐ卒業です。この前の演奏会で心の距離が近づいたのか、寂しくなったのか、今日やたら絡んできました。何人かの子が手紙を書いてくれました。

 

おいおいおい、そういうのに弱いんだよ、私は。

やめてくれよ。。。

このままだと初の「卒業生出さないのに、涙する卒業式」になりそう。

その時、頭の中でどんな曲が流れているんだろう。

 

 

 

https://youtu.be/CJbI-5kkkqc

youは何のために音楽を?

【youは何のために音楽を?】

 


昨日は指導している器楽同好会の今年度最後の演奏会でした。

この同好会に関わるようになってから4年。今の勤務校に異動してしてきてからずっと続けています。今回は当時3年生だった子たちが6年生となり、卒業を迎える年でした。

 


その3年生の子たちは、私が今の勤務校で担任した子たちでもあります。私にとって忘れられない1年間でした。それから3年間、担任することはなかったし、成長に従って関わり方も少しずつ変わってきたけど、なんかどこかで繋がっているような感覚を持たせてくれる子たちでした。

 


演奏会が終わり、私から卒業する6年生に話をする時間がありました。話す内容は少し考えていたけど、いざ話してみると想いが込み上げてきました。音楽を通じてたくさんの思い出ができたこと、たくさん支えられてもらったこと、これからのこと・・・

自分で「え?」と思うくらい、気持ちが昂ぶってまともにしゃべれませんでした。

 


一つだけどうしても言葉にしようと思っていたこと。

「今日この日に感じた今のこの気持ちを大切にしてください」

 


たくさんの思い出

信頼できる仲間

素敵な音楽

 


これは、今この場にいるみんなにしかわからないこと。こういうことの積み重ねが人生を充実させることなんじゃないかな、と話しながら感じました。それは【youは何のために音楽を?】の答えかもしれません。

 

 

 

妻に昔言われました「なんで休みの日に仕事とは関係ないことをしているの?」

周りから言われました「よくやってるねえ、ボランティアでしょ?」

管理職に言われました「業務ではないのに、お願いして申し訳ないね」

 

 

 

「何のために音楽の指導なんかしているの?」

・子どもたちに音楽を伝えたい?

・自分が音楽経験があるからするしかない?

・保護者と子どもの期待にこたえるため?

・大濠OBで活躍している人たちに負けたくないから?

 


時々考えることがありました。ものすごく忙しい時、家庭が優先されるべき時、落ち込んでいる時・・・でも一つだけ思っていることがありました。「誰かのためにやっている」はしんどいし、続かない。と。

 


そして、やっと昨日確信しました。

【youは何のために音楽をしているの?」

 


自分が自分らしくいられるため。自分にとっての幸せのため。

 


音楽を仲間とともに創ること、音楽によって心が動くこと。

それらが私にとって、自分らしくいられることであり幸せなんだろうなと思います。だからずっと音楽を続けてきたし、自分にとって理想の音楽を探してきたんだと思います。

 

 

 

 


昨日、ある子が言っていたそうです。

「あれ、私にも泣ける心があるんだ」と。

そう、心が動くって人間だからできることなんだよな。

だから心が動いて、泣ける時は泣けばいいし、笑う時は笑えばいい。音楽にはそんなことをさせてくれる、と私は高校時代に学びました。今でもそれは変わっていません。

 

音楽会終了

音楽会が終わりました。

本当に楽しかったです。

やりたいようにやらせてもらいました。

自分のやりたい音楽であり、みんながやりたい音楽を

みんなでつくることができました。

 

6年生は無事に卒業しました。

自分が一年前の3月に立てた目標は達成しました。

以前3年生の時に担任した子たちを卒業まで見守りました。

 

演奏会後のお別れの会で、6年生の子たちに話をしたら、涙が出てきました。

「あ、自分も泣けるんだ」と思いました。

もう泣けない人間だと思っていたのは間違いだったんですね。

思い入れがあって、邪魔するものがなければ、まだ心は動くようです。

 

自分のことを話すことで精一杯だったので、子どもたちの表情は見れなかったのですが、

どうやら子どもたちは私の話に共感してくれたようでした。

一緒にいた保護者の方から聞いて知りました。

それを聞いて、よかったなと思いました。

本音を話せるって、相手が受け止めてもらえると信じられるからこそできること。

気持ちが通じ合える関係になれていたのであれば、嬉しいです。

 

ちょっとしんみりしたけど、その後はお互いに冗談を言って、ふざけて、

笑ってお別れしました。もう私の役目は終わりました。

 

ありがとうね、みんな。

 

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がっくり・・・?

昨日、「2年生になってできるようになったこと」「成長したこと」を書いてもらいました。

 

・なわとびができるようになった

・百マス計算が早くなった

・跳び箱がとべた

 

こういうのがとても多かったです。

 

ちょっとがっくり、というか拍子抜けしてしまいました。ああ、子どもたちってそういう感覚なのね、と。もっと心の成長やクラスの成長とか、『学び合い』のこととか書くかと思ったけど、全然なし。一番力入れて語ってきたことは

あんまり意識してなかったのね。

 

ははあ、まあそうだよね。

そういう年齢でもあるし。

でもまあ、クラスの成長したことや

『学び合い』で学んでいるのこととか

そういうことを価値づけが足らなかったのかな、とも思いました。

 

ふう。まだまだだなあ。

ふりかえり

昨日の私。全体的によくなかったと思います。

理由は、私の器の問題なんですけどね。ピリピリ感を出していたと思います。

 

以前の投稿で、「低学年が苦手」ということを書きましたが、

やはり「話の伝わらなさ」「言った通りにならない」という低学年なら当然でしょ(低学年どころか、子どもってそうでしょ)・・・と思われることについつい反応してしまうのが、私。

そして、だんだんピリピリ感へと変わっていきます。

子どもたちは、楽しくなかっただろうなあ。

あとからになって後悔する・・・。

 

でも、前向きにならないと。

こういう時の対処法は、なんと言ってもリラックス。

「あ、心ざわついている」という感じた時はすぐに、呼吸を整える。

するとかなり落ち着きます。

こんなことしているレベルの自分が残念ですが、このレベルなのでやるしかありません。

少し調子が出てきたら、意図的に笑うようにするといいかなと思っています。

 

ダメ出しばかりですが、よかったところもあります。

以前まで丁寧に話ができなかったことが、できるようになってきた気がします。

今どう思うの?→どうしたいの?→どうする?

以前教えていただいたこの思考のルートと対話の仕方はとても応用が効きます。

なんといっても、私のような器の人間でもピリピリせずに落ち着いて話せるようになりました。

 

 

やれやれ、本当に何やってんだか・・・でも頑張ります。