わけあって、一斉授業をしました。
私もそれなりに一斉授業はできます。
過去に板書や発問や話し方をだいぶ練習したので、それなりに授業になります。
子どもたちは黙って聞いてくれました。
ノートも頑張って書いていました。
感想もたくさん書いてくれました。
かなり準備したこと、
たくさん話を(一方的に)にしたこと、
子どもの反応がよかったこと、
総じて満足感のようなものを感じました。
以前はこの満足感に酔っていたと思います。
「あー、いい授業したなあ」って。
子どもたちも「先生の授業楽しいです」
「先生の授業分かりやすいです」と言ってくれました。
でも、その時は気づいてなかったと思います。その授業の内容が訳もわからぬままだった子。授業中ぼーっとしていて、感想だけいいこと書いている子。
どんなに授業を改善しようとも、このような子の存在を何ともできなかった。そして、いつの間にか「仕方ないか」としていたと思います。
苦い過去です。
『学び合い』を始めて、全員わからせる授業なんて不可能だと理解してから、過去の一斉授業をしていた自分を見つめなおせるようになりました。
誰のための授業なのか。
子どもたちが学校で学ぶべきことは何なのか。
それをに気づかせてくれたのは『学び合い』でした。
そもそも一斉授業って、相当大変ですよ。
資料準備して、板書案考えて、発問考えて。。
残業しまくる体力と余裕がなければ、
こんなこと毎日できません。
一斉授業がダメってわけではないですが、
それがスタンダードな教育現場、変わってほしいなあと願っています。