おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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6年間の日記とふりかえりジャーナル

今日、ある先生と話をしている時に、私が昔日記をつけていた話になりました。

 

実際に日記をつけていたのは、高校卒業してから大学5年目までの実質6年間です。

ノートは10冊ほどになって、今でも家のどこかに封印しています。

 

そもそも、なぜ日記をはじめたかというと、会話する相手がいなかったからです

来る日も来る日も、予備校と家の往復。

親にも申し訳なくて話をすることはなかったし、予備校で友達はゼロ。

高校の友達はみんな進学したり、留学したりしていたので、会う機会もない。

毎日、自分の気持ちを日記に書いては、自分を奮い立たせていました。

それしか方法がありませんでした。

 

その習慣が身についたからか、大学進学してからも、日記を書き続けていました。

何より、自分の気持ちをぶつけること、あとから振り返って面白いこと、

完全に自分のためにやっていました。誰にも見せることも存在をあかすこともありませでした。

 

結局、就職するまで続けた日記は、今は書いてはいませんが、ブログを書いたり、

Facebookで発信したりして、同じようなことはしています。

 

自分にとっては、誰かに見てもらえるというよりも、自分のために書いているようなものなんですね。

 

 

ただ、今日話をするまで、そんなこと忘れていました。

「その日記が今のオオニシさんの学ぶ力、ふりかえる力になっているんですね」

と言われて「ああ、そうかあ」と思いました。

 

何かを得るためというよりも、「話す相手は自分だけで十分」というひねくれた思い

だけでやっていたことが、今になって価値づけされるなんて驚きです。

 

だからというわけではないんですが、

「ふりかえりジャーナル」には関心を持っています。

毎日、帰る前に書いてもらうんですが、どうしてこれをするのか、

子どもたちに納得してもらえる語りができる自信がありません。

 

私が日記を6年間続けてよかったことは、ただ記録が残ることと、

自分と対話できることだけど、それは自分にとって必要性があっただけであって、

子どもたちにそれを押し付けるのは何か変だなあと思います。

 

もちろん、続けていくうちに、日記のよさは気づいてくるとは思うんですが、

その後も自分で続けるくらいじゃなければ意味ないんじゃないのかなとか、

一年間でも続けることに意味があるのかなとかいろいろ考えます。

 

このあたりも誰かと語りたいところですね。