しびれた一言
ある方の投稿にて
『学び合い』の授業で、はじめと終わりに教師が語るのは、一斉指導と同じ。
だから、『学び合い』の数時間の単元の中に、一斉指導があってもおかしくはない。
それも含めて『学び合い』
なるほど、しびれました。
たしかに、『学び合い』実践をしていると、「先生が話してはいけないのではないか」「一斉指導はだめなのではないか」ということを考えます。私は実際にそうでした。時折、一斉指導をしていると、やる気のない子が気になったり、話を聞いていない子が気になったり、勉強の進行に差が出たり・・・色々あって、「ああ、一斉指導はできない」と思ったりします。だから『学び合い』にこだわる・・・そんなことがありました。
しかし、今は違います。
子どもたちが進んで学び、学びの質を高めるためにどうすればいいか、と考えているので、
そのための指導、形態が必要か、と考えています。
そう考えると、固定した3人グループの方がよかったり、一斉指導がよかったり、『学び合い』がよかったり・・・色々選択できるようになります。そして、形態なんてものは、別に大したことではありません。
だから『学び合い』だろうが、一斉指導だろうが、あんまり関係ないのです。目標はいつも同じなので。
相対的に『学び合い』の方がいいと考えることが多いというだけです。