令和の最初
令和となりました。
昨日の元号が変わる0時頃はお祭りムード一色でした。
大晦日のような雰囲気で不思議でした。
また、今日も元旦のような雰囲気です。
私もそのような雰囲気にのっかりたいタイプなので、神社にお参りに行きました。
新年を迎えたごとく、新鮮な気持ちになりました。
さて、令和最初の話題は「子どもに無理させない・我慢させない」です。
あくまで体感ですが、私の子どもの頃と比べて、またここ数年比べて、子どもたちに「無理させない・我慢させない」ようになっていっていると思います。
決してそれを批判したいのではなく、よい流れだと思います。やっと理不尽さに気づいたというか、みんながおかしいと思うようになっていったとも言えると思います。たとえば
・運動会の練習には十分水分を取り、休憩を多くとる
・運動会の児童席にはテントを張る
・持久走(マラソン)をしない
・夏場の終業式等の行事を体育館でしない
・夏場の教室に冷房を使用する(冬場も暖房)
などです。
聞いた話ですが、「昔は暑い中でも頑張ってた」「暑さに耐えることで忍耐力をつける」とかそんな根性論でなんとかしようとする声もあったようですね。さすがに「おかしいでしょ」という世論の高まりから、このあたりはここ数年で解消されつつあるように思いますが、数年前は対して環境は変わっていないのに、このあたりは「我慢させて」「無理させて」いたんですよね。私が子どもの時から、夏場の教室の暑さは厳しかったし、冬場も寒冷地では絶対に暖房入っているレベルだったはずです。でもそれらを「おかしいでしょ」という風潮ではなかったから、「我慢させていた」「無理させていた」んですよね。今言われているくらいに熱中症はたくさんあったと思います。
このあたりは、子どもの健康、安全に関わることなので当然といえば当然の流れなんですが、次のようなことも「無視させない・我慢させない」ようになっていっていると思います。
・給食を完食させない
・厳しく叱らない
・学校に無理して来させようとしない
・無理に集団になじませようとしない
・嫌な勉強をさせない
程度や方法の違いこそあれ、このようなことも親や子どもが求めてきているように感じます。
この中の一部について、私も馴染めないこともありましたが、最近は腑に落ちて子どもや親の要望に合わせるようにしています。学校これるだけで◎、給食一口でも食べられたら◎、漢字一個でも書いたら◎など、子どもそれぞれ、同じことを同じように求めたらしんどくなる子はいて当然。時間はかかりましたが、理解できるようになりました。
ただ、今まではこのようなことを無理させたり、我慢させたりしていたのではないかと思います。
「社会に出たら必要だ」とか「中学生になったら困る」とかそういう理屈で子どもたちに強要しているところはあったと思います。私もその一人です。それで学校が嫌になったり、勉強が嫌になったりした子もいるでしょう。今更ながら後悔しています。
令和になってふと思うのが、このような子達が大きくなって、成人して、社会に出るようになったら、どうなっていくのだろうと思います。いままでは「我慢して」「無理できる」ことを理不尽ながらも耐えてきたことが見直されていくのではないかと思います。それが悪いといいたいわけではありません。
先日、あるドラマで若い新人が先輩から説教を受けてすぐに辞めるというシーンがありました。
あくまでドラマの一場面ですが、そういうことが今の世の中で起こっているのではないかと思いますし、これからもっと加速するのではないかと思います。「理不尽な我慢や無理はしない」
最もなことだと思います。サービス残業当たり前、先輩の言うこと聞いて当たり前、社会の暗黙の了解にのっとって当然・・・などなど今でもだんだん見直されていることですが、よりそういうことがなくなっていくのではないかと思います。
令和は今まで当たり前とされていたことが変わっていく、そんな時代になっていくのではないか、そんなことをふと思いました。