個別化のことを色々思い出した
一時期、「子どもたちは多様だ!子どもの学びを個別化しよう!」
と試みていた時期があった。それは低学年の担任の時に、子どもたちの言語能力、理解能力に圧倒的な差があって、それは仕方ないことなのにも関わらず、同じことを同じペースでさせることに、どう考えても無理がある、と感じたことがきっかけだったと思います。
具体的に何をしたかというと、20時間くらいの単元の学習を1時間ずつ学習するのではなく、子どもたちに全部まとめて課題としてわたし、個々のペースで取り組ませる、という方法でした。
通常一時間の内容を半分の時間で済ませる子もいれば、倍の時間かけて学ぶ子もいる。子どもたちは自分のペースで学ぶことができてまさに「個別化」だと思いました。
しかし、そうもいかないんですね。
確かに理解力のある子はどんどん進みます。
一時間の授業の中で課題のプリントを3枚、4枚とどんどん進めていきます。
そりゃあそうです。塾とか習い事とか学習教材などで既に学んでいるんですから。
「早く終わらせよう」と半ば競争のような形で、進めていきます。
結局それでどうなるかというと、一時間に半分とか、もっと少ししか進まない子が
どんどん遅れていくわけです。分からない状態のまま。ああ、これはいけない。と思って「全員達成」とか「自分のことよりも、周りのみんなのことも見れるように」とか言っても、後戻りはなかなかできない。もう走り出しているわけですから。低学年の子に「後ろを確認しながら、前むいて走れ」なんて難しいですよね。まだそんな時期じゃないんだから。
結局分かったことは、「個別化」するにしても「協同」は必須だってこと。
自分で理解したり、自分でどのように学べばいいか分からない子にとっては
「個別化」は置いてきぼりになりかねない。そんな時にクラスの仲間が一緒にいてくれたら、ゆっくり学ぶことができる。
あともう一つ言えることは「縛り」をできるだけなくすこと。
20時間の学習内容って、あくまでも大人の都合。子どもにとっては20時間じゃ足らないかもしれない。だとしたら、20時間でいけるとこまで行こうっていう覚悟も必要。「教科書終わらせよう」じゃなくて、「教科書のこの部分までは分かろう」みたいな感じ。これってなかなか勇気がいることなんだけどね。
というわけで、僕の場合はチャレンジしてみて、子どもたちの様子を見ていて
「個別化」のことを考え直すことができました。高学年になると「前見ながら後ろ見れる子」って子も現れだすので、案外単元まるごとでも何とかなるんですよね。これがまた不思議なもので。