全員がわかる
新型コロナ対策のために、『学び合い』の授業を控えて、自分なりに試行錯誤しながら授業づくりを行なっています。また授業の時間が通常より短いため、スライドを活用したり、活動の時間を捻出するために、準備や片付けの時間を省いたりています。その分、準備には手間取りますが、なんとかやれています。
『学び合い』の授業をずっと続けてきた身として、『学び合い』をしない、という自分がイメージできませんでしたが、始めのうちは、違和感はありませんでした。むしろ、「自分はこんな授業を目指していたんだ」と改めて考えるきっかけになった、と思います。
例えば、子どもたちが自分のペースで学ぶこと。1時間に同じ課題を同じペースで進むのではなく、単元まとめて課題をわたして、子どもたちなりのペースで進めるようにしました。
今まで主に先生にペースを作ってもらっていた子たちにとっては、「どうすればいいかわからない」という子もいたでしょう。そういう子のために、お手本を準備したり、自分で学習する方法を交流したりしました。できるだけ一人一人と関わり、よいところやできるようになったところを認めていく。
そうすることで、多くの子は自分なりのやり方、自分なりのペースで学習することができていた、と思います。同じような考え方で、レポートの課題やふりかえりの課題も単元ごとに出すことができました。「我ながらうまくいっている」と思いました。
しかし、一つ大きな問題がありました。
テストの結果です。
詳しくは書けませんが、自分としては意外な結果でした。
今まで担任していたクラスは、『学び合い』でも『学び合い』でなくても、
そんなに大きな差が出ていなかったのでしょう。
でも、そうもいかないクラスがありました。
「テストの課題をもとにして課題を作っているのに・・・」
「スライドの内容を覚えておけば、テストの点数とれるはずなのに・・・」
色々と言い訳が浮かんできますし、対策として思いつくことは「小手先」なことばかり。
「もっと細かく指示を出すべきだった」
「練習をすればよかった」
いやいや、ちょっと待てよ。
そもそもスライドの分かりやすさうんぬんより、説明自体が分かっていないのでは?
課題の文章に何が書いているか分からないのでは?
いったい何の学習しているのか分からないのでは?
いろいろ考えているうちに、当たり前のことに気づきました。
「子どもに相談しよう」
ある子から意見が出されました。
「みんなで教え合えばいい」
そうだよ、そうなんだよ。
心の声がもれてきそうでした。
また、私が提案するより、はるかに納得感があったように思いました。
その後・・・
細かくは書けませんが、それはもう素敵な時間でした。
「ああ、これだよ」と思いました。
私は、スライドを使って「分かりやすい」授業をしたいんじゃない。
課題をまとめて渡して、自由に学習をさせたいだけじゃない。
「子どもたち全員が「分かる」授業がしたいんだ」ということがわかりました。
もちろん、その「分かる」はテストの点数が取れるレベルの「分かる」かもしれません。
でも、まずはそのレベルの「分かる」ができなければ、どんな授業をしようとも、
「置いてけぼり」がでるでしょう。
まずは、テストレベルでもいい。「全員がわかる」授業をしたい。
そう改めて思いました。
『学び合い』を始めた頃の気持ちになりました。