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#39 国語教育への恨み

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どうも!おに先生@onisensei024です。

 

タイトルが「恨み」なんとまあ、何が言いたいんだって感じですね。

まあ後の方に出てきます。この手の文章は何度も書いてきたので。

突然ですが僕、大学の学部生の時、

 

 

「卒業論文で不可」

 

をもらった人なんです。

卒論ですよ、卒論。学部で、卒論不可とか聞いたことありますか?

たいてい内容問わず、「出したらひとまずOK」ってのが学部の卒論じゃないんですか?

(真面目に論文書いた方や、大学関係者の方すみません。僕の暴論です)

しかし、僕の所属していた学科は違いました。「ダメなもんはダメ」

 

 

まあ、そりゃそうですよ?そうなんです。試験に不合格なら不合格ですから。でも聞いたことないですよね、卒論だして、不可って。

 

で、不可もらったらどうなるか分かりますか?

 

 

留年です(または中退)

 

そう、卒業式1ヶ月前に、僕は留年が決まりました。

確かに、学科内には留年している人もいました。でもそれは、授業に参加していなかったからとか、留学していたからとか、それなりに理由があったと思います。僕の場合は、卒業に必要な単位はしっかりとって、必要のない単位もとって、真面目に4年間通って、留年。そんなバカな。

 

いやはや絶望しましたよ。当時。

 

次の年度の4月からの予定がすべてパーですからね。働く予定だったんですよ、自分。一人、卒業できない惨めさ、親に何も言えない虚しさ、一人残っていく寂しさ・・・ありとあらゆる感情がぐるぐるまわって、結局卒業式に「卒業できないんだよー」なんて笑いながら会場内に参加したけど、や気持ちの整理がつくはずなかった。

 

同級生のみんなは4月から就職。「どこの学校に決まったー?」なんて言っている。「おまえ、大学全然来てなかったじゃん」ってやつも「授業中ずっと寝てたやつも、卒業している。でも、僕はできない。

 

もちろん、留年が決まった時、親に話しました。そして、半年留年させてもらい、もう一度卒論を書くことにしました。よくもあの時「学費払ってんのに、お前なにやってんだよ。自分で払え」なんて怒りの言葉をかけなかったな、と思います。(感謝せないかんですね)気持ちの整理もついて、新しいスタートを切ることになりました。

 

 

そしてそれから5ヶ月。7月31日に、卒論を再度仕上げ、提出。

9月中旬に、大学から卒業を認める連絡が来て、9月30日に卒業しました。卒業式は3名。残りの2人は留学のために、半期遅れたとのことでした。何百人という同級生の中で、僕みたいなのは一人もいませんでした

 

 

それから5ヶ月と書きましたが、それは苦しい時間でした。

何が苦しいかというと、一人ぼっちで、何をどうすればいいかわからなかったからです。「何をどうすればいいかわからない」のに、どうして卒論を一回提出したの?って、そうです。卒論が不可をもらった理由は単純で、「論文になっていなかった」からです。そして5ヶ月間、「論文とは何か」から考えることとなりました。いや、もう少し厳密にいえば、「論文とは何か」考えていたわけではなく、卒論を書こうともがく過程で、「論文とは何か」を考えていたんだと思います。

 

当たり前ですが、一人でできるはずありません。

この話をすると、「指導教官に教えてもらわなかったのか」と聞かれたりします。そうです。一回もまともなことを教えてもらったことはありません。何度も原稿を持っていってため息をついて

「バツ」

これが指導教官のやり方でした。(もう御退官されているそうなので、いいんです)

 

今となってはその先生の考えもなんとなく想像つきます。

「なんで4年間もあって、論文の書き方一つも学んでないの?なんで3年生からのゼミで学んでないの?何もわかってないお前が悪いんだろ?自分で学べよ」こんなところだと思います。だから、僕がなんども「論文もどき」を持っていったところで、「バツ」なのは当然です。冒頭で紹介した「論文の教室」にも似たようなことが書いています。「あ、ここで紹介されているダメ学生って俺だ」って思います。

 

でもまあ、言い訳させてもらえば、4年間大学生活の中で「論文」の書き方を習ったことはありません。もちろん、高校も中学も小学校も。そりゃあ、小中は大学で論文を書くための学習なんかしないでしょうし、高校は進学が優先事項でしょう。

 

卒業させるために、論文の書き方もわかっていない学生には、そこから指導するのが教員の仕事なのでは?と思いたいところですが、それは一般論でしょうね。私のゼミの教授はあくまで研究者であり、教育者ではなかったのでしょう。意味わからない文章を書かれても、ダメなもんはダメ。まあ、筋が通っています。何もわかっていないのは僕です。

 

結果的に5ヶ月間 自力で「論文の書き方」を考え、卒論を完成させました。最後に教授に出した時帰ってきた言葉は「もうお前を卒業させることにした」でした。(お疲れ様もないのかよ!と思いましたけどね。本当に教員養成系の大学の教員かよ・・・なんて)私みたいなのが5ヶ月踏ん張ったところで、微々たる変化だったのでしょう。でも、私はもうそれでもよかった。もう大学で学ぶのは十分でした。自分が自惚れていたことも十分わかりました。体もやせこけてボロボロでした。

 

前置きが長くなりました(え、前置きなの?)

 

恨みと書いたのは、「なんで論文の書き方を誰も教えてくれなかったんだよ」ってこと。写真にあるような「論文の教室」みたいな本や授業があったら、僕は留年せずにすんだと思います。で、この本でも言っているんですよ、学生が「論文を書けない」って。そりゃそうですよ、大学に入るまでに論文どころか、「文章の書き方」すらまともに学んでないんですから。中学高校は主に受験の問題を解く学習ばっかりだったし、小学校の国語の授業は「登場人物の気持ちになって〜」ばっかりでした。いやもちろん、「教えてもらう」ってことが当たり前になってることも承知です。でも、ねえ・・・。浮かんでこないし、学びにいけないっすよ。分かんないんだから。

 

でも、小学校の教師になってわかったのですが、小学校の国語の説明文って「問い」「論拠」「主張」になっている時点で、「ミニ論文」なんですね。つまり、説明文をまともに学べば、ちゃんと論文の構造が分かって、論文も書けるようになるんじゃないか、ってのが僕の今のところの考え。いや、もちろん論文を書くことが目的なんじゃなくて、「説得力のある文章の書ける」こと、いやもっといえば、「文章を構成する」ことを学ぶんだろうな、と思います。

 

で、そんなことを考えて指導している人がどれだけいるのか、って思います。

 

今まで学校の教師を続けてきて、たくさんの国語の研究授業を見てきました。残念ながら、僕が納得できる授業はほとんどなかったです。なんかもう、コテコテに張り物で盛られた授業とか「話型」にはまった授業ばっかり。「書く」授業は一切ない。だからもう我流です。そして、国語の授業で、特に「書くこと」に対しては、シンプルに考えています、僕は。

 

他人が読みやすい文章が書けるようになる

 

とはいっても簡単ではないんですよね。でも僕は子どもたちにいいます。「これじゃ、わかんないよ」と。私の指導教官とやってることは似ていると思いますが、僕の場合は「クラスの誰かに聞いたらわかるよ」がくっついてきます。で、最後の最後は救います。

 

子どもたちにとっては楽な勉強ではないけど、子どもたちは燃えます。そして、おそらくこれは、大人になっても使える力だと思うし、他教科の学習でも全部応用効くっていうか、大抵「書く」でしょう。

 

「書く」ことがとても多いのに「書く」授業が充実してないって、おかしいなあって思います。で、国語の教科書って学年ごとに系統立てて「書き方」が書いてあるのに、意外とつながっていないんですよね。それは僕も。

特に、高学年からの「要約」「要旨」って幅広く、ずっと使えるスキルだと思うんですよね、でも意外と重要視されていない気がします。

というわけで、僕が小学校で国語の授業をする時は全く手抜きをしません。とことんやります。

これが僕なりの「恨み」に対する、「復讐」です。なかなかパワーが湧きますよ。

ふふふ。