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記録に残らない、24歳の記憶

12年前の今日、僕は大学の研究室で過ごしました。誰とも会わず、一日中一人で卒論を書いていました。7月31日の締め切りが近づいていたからです。
 
学部の卒論で不可、一人卒業延期。卒業式見学。
屈辱を味わった後、半期留年をさせてもらうことになりました。
しかし、指導教官から言われることといえば、
「ゴミ」「お前、このままずっと卒業できねぇよ」
提出1週間前まで言われ続け、僕は、24歳の誕生日を消し去ることに決めました。
 
写真も記録も残っていません。
ただ、「ああ、誕生日だな」研究室の時計を見ながら呟いたこと
ただ、夜道を星空を見ながら歩いたことは覚えています。
 
そして、いつものように、オリンピックの開会式で流れた「カエルのテーマ」を聴いて自分の心を
奮わせます。そうでもしなければ、不安で押し潰されそうになるのが分かっていたから。
誰にも頼ることもできず、誰にも応援してもらえるはずもなく、
ただただ、自分に向かってエールを投げかける。
「屹度できる」と。
 
夢とか希望とか
明けない夜はないとか
努力は実るとか
 
そんな言葉に躍らされ、自惚れていたことに、気づきました。
本当に不安な時、自分の力のなさを思い知った時、
これらの言葉がどれだけ陳腐なことかに気づきました。
 
でも、前を向くしかない
自分で希望を持とうとするしかない
 
自分で自分を奮い立たさせる根性というか、姿勢というか、生き方は
この時形成されたと思います。
 
 
当時毎日書いていた、12年前の日記を引っ張り出してきて、読んでみると
ちょうど、誕生日の前後だけ空白でした。
もう、自分に向かい合う余裕すらなかったんだろう。
不安に打ち勝つには、目の前のことに本気でぶつかるしかなかったんだろう。
そんな風に思います。
 
当時「今頑張れば、未来は変わる」となんて思っていませんでした。
とにかく、目の前の論文を完成させたいという思いだったと思います。
でも、その時諦めなかったから、卒業できて、教員免許が取れた。
 
ま、24歳の年の僕は、その後無職を経験し、かろうじて受けた教員採用試験には全部落ち、
社会の中で自分の力のなさを知ります。そんな時だからこそ、仲間のありがたさを知り、
自分がどのような生き方をしたいか考え、教員を志しました。
 
そして、今がある。
 
このブログを続けているのも、自分と向かい合うこと、
自分の最大の応援者は自分だということが染みついているからかもしれません。
幸い、自分で自分を奮い立たせなくても、周りが応援してくれるようになったので
そこまで気を張る必要はないんですけどね。
 
さて、目の前のことに挑むことは、12年経った今でも変わりません。