8月15日
8月15日は終戦のことを思い出すようにしています。
先生だから、というわけではなくて、「自分にできること」だからです。
6月19日の福岡大空襲の日だとか、8月6日と9日の原爆の日に
平和教育を行なっていますが、いつも思うことは「忘れないこと」「関心を持つこと」
だと思っています。「平和な世の中になることを願って・・・」なんてことをよく耳にするし
そのような言葉を使った教育に携わっていると思いますが、正直「願う」ことよりも、
「自分にできることをする(行動する)」ことの方が重要だと思っています。なぜなら「願い」だけで「平和」は訪れないから。綺麗事にしかすぎないと思っています。
では「自分にできること」は何か。
平和な社会を願う活動に関わる?
戦争反対のデモでもする?
そんなモチベーションはありませんし、参加もしようと思いません。
もちろんそれらの行動自体を否定しませんし、参加している方々に対しては
「彼なりの平和を願うための行動」だと理解していますが、私にはできません。
なぜなら続かないから。
だから私が今、できることは「忘れないこと」「関心を持つこと」だと思います。
一つ具体例を出すとすれば、「なぜ太平洋戦争は起こったのか」を知ることです。
学生時代に、自分の必修の講義ではありませんでしたが「近代日本史」の授業で、この本を読みました。おそらく学術本なので、非常に読むのが困難なのですが、一つ言えることは「なぜ太平洋戦争は起こったのか」という問いの答えは、簡単に出せるものではない、ということです。
学校の平和教育では「攻撃を受けた」ことを取り上げて「平和を願う」ことをよく授業しますが、はっきり言ってそれだけじゃ時間不足だと思います。なぜ、原爆が落とされることになったのか、どうやって終戦を迎えたのか。その過程は関係なく、「攻撃を受けた」ことだけを学び、「戦争はよくないよね」というのはあまりにも短絡的です。もちろん、しないよりは十分マシだと思ってますし、この学習をすることが平和について考える第一歩だと思いますが、少なくとも小学校6年生では、「なぜ太平洋戦争は起こったのか」の問いを立てて、学ぶべきではないか、と思っています。すると、当時の日本の社会の状況、真珠湾攻撃、日中戦争、盧溝橋事件、二・二六事件など一連の出来事がつながってくることがわかるでしょう。
もちろん「日本の一番長い日」で取り上げられた「玉音放送」に至るまでだけでも、かなりの内容。「平和」っていうのは、「願う」だけで得られるものじゃない、とこの映画を見てよく思います。
この映画以外にもこの当時のことを理解しやすい映画がいくつかありますね。
私は、「終戦のエンペラー」とか「硫黄島からの手紙」などが好きです。
どうしても「戦争美化」にならないように気をつけたいところですが、この二つの映画は、アメリカで作られたものなので、あんまり「戦争美化」されていないように思います。
また、この時代のことを知らずに「戦争反対」と短絡的に考えるのも避けたいところです。人の命の尊さとか、犠牲になった人の気持ちとか、わからなくはないのですが、それだけで終わってしまう「平和教育」よりももっと冷静に「歴史」としてその当時を学ぶことが、もう同じような戦争を引き起こさないことではないか、と思います。(このあたりは、センシティブな内容なので、職場で話題にすることはありません)
もちろん、これから先、過去の歴史とは全く異なる出来事だらけでしょう。だからいつも「関心を持っておく」ことで、「あの時、こうだったじゃないか」と思い出すようにしたいです。
そして、
「日本が戦争をしかけたから、太平洋戦争ははじまったんじゃないの?」
「え、憲法改正?なんのこと?」
「安全保障条約?誰が守っているの?」
知らないこと、誤解していることが、自分たちに首をしめていることに気づかない、そんな大人にならないよう、しないよう、学び続けたいですし、語り続けたいです。