#先生死ぬかも
#先生死ぬかも
がTwitterでトレンドワードになったとのことです。
ハッシュタグでツイートをおっていると、いろんな発信があるな、と思いました。教員の多忙化、パワハラ、教員の志望者不足・・・さらに今年は、感染症対策、夏休みの短縮、土曜授業、熱中症対策・・・教員の負担が増しています。以前からこのような問題について声は上げられていましたが、改めて#先生死ぬかもという声で再確認することはよいのではないか、と思います。しかし私には、それだけでは留まらない事情があります。なぜなら、本当に先生の死を目の当たりしたからです。しかもそれは、大事な友人でした。
僕の友人は数年前に死にました。
だから僕にとっては「先生死ぬかも」ではなく
#誰か先生死ぬよ です。
そしてそれが誰かの同僚、家族、友人、恋人だということ
もしかしたら、自分の身の回りの人かも
ずっと意識して過ごしています。
#先生死ぬかも
もしこれが、家族、友人、恋人ならどうでしょう。「かも」で済みますか。
#先生死なせない
と思うのではないでしょうか。
死んだら手遅れですよ。
でも、私もふくめて、みんな「かも」という他人事。
自分とは関係がないと思ってしまう。
でも「誰か」が死ぬかもしれないのは間違いない。
それがもどかしい。
私は、今までも、そしてこれからも
#先生死ぬかも と意識して行動しているつもりです。
もう友人のような犠牲者が出るのはごめんです。