一人も見捨てないの捉え方
「一人も見捨てない」
『学び合い』の「3つの観」と「1つの願い」の
「願い」であると、言われています。
『学び合い』を実践するにあたって、欠かせることができないものだとは思いますが、
「目標」にすべきことか、と言われたら、私は違う、と思っています。
まず、「一人も見捨てない」を言葉通りに捉えると、「しんどい」からです。
私は、担任として、または学校の職員として、子どもたちみんなを「見捨てたくない」
でも、教師一人ではそれは無理だから、子どもたちの力を借りる。
でもやっぱり、「見捨ててしまう」状況というのは、たくさん起こる。
それをみながら何もできないのは「しんどい」
学校の教員としてできる限界があることを知って、それでも可能な限り「一人も見捨てない」って、何だか誤魔化しているよう。だから僕は「一人も見捨てない」を目標にしていません。
では、どのように捉えているか。それは、もっと軽い捉え方です。
私はこのように表現しています。
「気づく、気遣う、行動する」
大したことではありません。
電車に乗っている時に、
妊婦さんに「気づく」
「ああ、大丈夫かな・・・」と「気遣う」
「席、譲りましょうか」と「行動する」
それくらいなもんです。
ただ、この捉え方はあくまでも、善意です。だから、
「みんなが声をかけてくれるクラスなら、自分も過ごしやすい」
という損得の部分も欠かせません。
目標にすべきは、「一人も見捨てない」ことよりも、
「一人も見捨てない」環境の中で、よりよい学びをする、ことだと思います。
だから、「一人も見捨てない」は欠かせないですが、目標ではない、そのように考えています。