3月11日のテレビ番組で、一夜限りの復活のファンキーモンキーベイビーズ。
ファンモン。FUNKY MOKEY BABYS。
思わず画面にかじりついて観て、歌っていました。
僕にとっては、「唯一」と言っていいほどファンになったグループ。
ライブに行ったのも、このグループだけだし、アルバムは何度も聴いてほとんどの曲を知っています。自分にとっては珍しいくらいの、入りこみっぷりでした。おそらくちょうど、「ファンモン世代」と思うくらい、彼らの歌の歌詞が響く年頃に彼らに出会ったんだと思います。
その頃の僕は20代前半。
学生時代でした。
肩書きも、責任も、そして将来も見えない。
ただ毎日を漠然と過ごしていること、何か大きな役割がないこと、目指すことがないこと、
そんな自分に不安を感じている時期でした。仲間たちとワイワイやっているのが、なんだか嫌になっていた時期。
この曲の「俺たちはまだちっぽけで この手のひらの中には 何もないけど 雨にうたれ 風にふかれ でも諦めないから 諦めたくないから きっといつか 何かをつかむんだ」という歌詞が当時の自分に響きました。
この曲を聴いている頃は、まだ平和で、自分に酔っていてもよかったのですが、学生時代の最後に、大きな出来事があり苦しい時期を過ごすことになります。身も心もボロボロになり、食事もロクにとれず人生で初めて「激痩せ」をした頃なのですが、その時もファンキーモンキーベイビーズのストレートすぎる「応援歌」が僕の心の支えでした。
FUNKY MONKY BABYS「ガムシャラBOY」歌ってみた!!
この時、自分にいつも言っていたのが「きっとできる」という言葉です。
先の見えない、答えのない日々に「きっとできる、きっとできる」という言葉を念仏のように唱えていました。
話はそれますが、「きっと」という言葉は「屹度」という漢字で書きます。
屹は、「険しい山」
度は、「渡る」だと考えられます。
「きっと」は「険しい山を渡ること」という意味からできた言葉なのでしょう。
きっとできる、きっとできる。
人生は山登りのようなものなのかもしれません。
ファンキーモンキーベイビーズの楽曲は、ストレートすぎて「臭い」とも思われますが、
僕はそういう方が好きですし、心の支えになっていました。
小説の世界にあるような、人間の奥ゆかしさや難しさを感じることもよいけれど、
「素直に生きること」もまたありなのではないか、と思います。
ああ、こういうことを語りたくなるのが、「僕らしい」先生としての終わり方なんだけどね。
なかなかそうもいかないらしいです。