【連載】新しい時代③キソキホン
基礎・基本を大事に
学校現場における、思考停止ワードのランキング5位以内に入る言葉だろうな、と思う。
いったい何のための基礎・基本で、本当にそれが必要なのかは語られない。
大事だから。必要だから。
その言葉ですべてがまとめられる。思考停止。終了。
ひたすら漢字を書いていたら、文章は書けるようになるのか。
ひらすら計算問題を解いていたら、問題を解けるようになるのか。
ひたすら音読をしていたら、文章は読めるようになるのか。
もちろん「無駄」だとは思わない。
例えば、バスケットボールの練習において、「基礎練」というものは確かにある。
ドリブル、シュート、パス、だ。
他にもダッシュ、フットワーク、ランニング、ボールハンドリングもある。
これらの「基礎練」をだけをやっていれば、バスケがうまくなるか、といえば多くの人はNOと答えるだろう。
それは、バスケットボールがドリブルやパス、シュートがそれぞれ組み合わさってゲームが成り立つことを知っているから。
でも、それぞれの「基礎」がうまくなければ、バスケットボールの総合力は向上しない。
だから「基礎を大事に」という言葉は納得がいく。
一方で、学校現場で語られる「基礎・基本」は、それをどうやって使うのかがほぼ語られず、
漢字や計算や音読が「基礎・基本」だと共通認識され、そこでストップしている。
本来なら、「地域の人に手紙を書く」とか「低学年に読み聞かせをする」とかいう目的とそれを達成するための
力として、漢字や音読が考えられるのに、達成されるものもなければ、できるようになることも不明なのに、
基礎基本だけが一人あるきしている。ランキング5位に入り込むんだから、相当なもんだ。
で、今回の本題の「新しい時代」なんだけど、キソキホンのことで力が入りすぎて、もう字数が足りなくなってきました。
要するに、「新しい時代」に必要な力を考えてもいないのに、キソキホンはないでしょう、ということ。
少なくとも言えることが、漢字を書けるより、タイピングして変換できることだと思いますよ。