やり始めたら終わりを示せ
ある学校に行った時、教頭先生が消毒作業をしていました。
他にもさまざまな業務があるはずなのに、作業をしている姿を見て、
残念な気持ちになります。
コロナによる一斉休校あけからはじまった消毒作業。
いまだに続いていますが、いったいこれはいつまで続けるのでしょうか。
はじめた当初は、未知のウイルスからの感染防止のために、ありとあらゆる対策を行っていました。
だんだんそれらの対策は緩和する面もありましたが、緊急事態宣言が出るたびに「徹底」を求められ
結局消えずに残っています。
学校に勤めている人なら誰しもが分かることなのですが、
「学びを止めない」という大義名分のもと、学校という場所に集まっていること自体が「対策不可能」を意味します。
子どもはしゃべるし、くっつくし、いろいろなところを触る。「するな」と言ってもする。そんなもんです。
幸い、なのかわかりませんが、季節性インフルエンザほど学校でコロナは流行しませんでした。
「学校で対策したから」というのが公式見解なのかもしれませんが、上にも書いたように、学校は対策不可能。
できたとしても、マスクをつけることと、手を洗うことくらい。というか、それが一番の対策で、それ以外は対した対策でもないし、
徹底する必要性もないんじゃないの、って思います。
そして、はじめに触れた消毒作業。
そりゃ、清潔していた方がいいですよ。ただ、トイレにスリッパなしで入るような場所をいくらちょっと消毒したところで、
感染対策になるのか、と。その消毒にかけた時間だけ感染対策になっているのか、と。
どれだけのウイルス量を減らすことができて、どれだけのリスクが軽減されるのか、優先順位は何なのか
そのあたりの検証も何にもなく、終わりなく続く消毒作業。不毛としか思いません。
飲食店の時短がそろそろ終わるようです。
本当に不憫で仕方ないです。消毒作業と同じように、なんとなくで制限され、終わりなく続く時短。
やっと終わりを迎えそうでよかったですが、時短の基準が低すぎるのでまた行われるのではないかと残念におもいます。
時短しようがしまいが、一部の人たちは昼間に集まってぺちゃくちゃおしゃべりしているし、酒も飲んでますよ。
非合理的なことにNOといえない社会、なんだかな、と思います。学校だけじゃないですよね。