周りは自分をどう見るか
僕のことを周りの方は「勉強熱心」と捉えているようです。
アイスブレイクのような活動で知ることができました。
ただ、僕は自分のことを「勉強熱心」と思っていません。
むしろ、全然勉強が足りなくて焦っています。
集中しにくい特性なので、集中できるように色々工夫していますが、
うまく機能しているとはいえず、時々自己嫌悪に陥ります。
さかのぼれば、高校卒業後の浪人時代。
第一志望の大学を目指すコースで受講している数学の授業が全然理解できず、絶望しました。周りを見渡すとどんどん問題を解いて、何時間も集中して勉強している。一方の僕は授業の内容も理解できないし、集中もできない。自分の能力はそんなに高くない、自分はここにいるべき人間ではない、ということを知りました。そこには医歯薬系という自分なんかよりもはるか上のレベルを目指している人もいたから当たり前なのですが、すぐには納得できなくて、自分なりに努力はしてみたけど、たいした結果は出ませんでした。進路も少し変えて頑張ってみたけど、結果の出ない努力は受験勉強の上では何の価値もない。見事、1年間の浪人生活をもってしても、第一志望を叶えることはできませんでした。
この経験がおそらく僕自身の中に深く刻まれているので、自分が勉強することに対して
「努力している」とか「熱心」という感覚は持ち合わせていません。
ただ、今僕が勉強をしているのは、
「自分が納得して話をしたいから」です。
子どもに対して、保護者に対して、同僚に対して、よその学校の先生に対して・・・
自分が納得もしてない話をするなんて、申し訳ないという気持ちと、
何より自分を誤魔化しているのが気持ちが悪いからだと思います。
だから、僕は勉強を続けます。誰かに「熱心」とか「努力家」とか思われたいためではありません。ただ、不思議なもので、僕のそういう姿勢が、周りから「熱心」「努力家」に見えるんですね。
いやいや、僕なんかより「熱心」で「努力家」はいっぱいいますよ。
見えてないだけで。
僕は滲み出している分、まだまだ甘いってことでしょうね。
能ある鷹は爪を隠すといいますからね。