おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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自分の役割

今日は、タブレットの使い方、活用方法の校内研修を

私が担当しました。

 

もともとタブレットやパソコンを使ったスライド作成や

授業での活用に関心があり、可能な範囲で行ってきただけなので

そんなにパソコンのことに精通しているわけではないのですが、

 

ある程度の使い方・活用方法くらいは研修で伝えることができるだろう、と思い管理職からの要望もあって、行うことにしました。

 

データの整理や、音楽や映像のデータ化については、映像を編集したりすることを何度もしてきたので、それが生きました。

タブレットを使いやすくするには、数年前にiPadを手に入れてずっと使ってきたので、それが生きました。

パワーポイントでスライドを作る際に、絵や図を入れて、文字は少なめにすることは、今まで何度も作成してきた経験がいきました。

 

もともと、誰かに伝えるとか教えるとかするために得たものではなかったので、こんな形になることに驚いていると同時に、「自分が職場で役割ができた」と実感することができました。

 

研修が終わった後、「楽しかった」「分かりやすかった」「使ってみたくなった」という声があり、本当に嬉しく思いました。

 

正直、今の職場にきて五年間、ずっとくすぶってきたと思います。

音楽にしても研究にしても、『学び合い』にしても「役に立った」「必要とされた」と思うことはなかったですし、「結果を出した」とは思えませんでした。

 

心の底では「役に立ちたい」「貢献したい」という気持ちがずっとあったと思います。特に『学び合い』に関しては、何とか理解してもらいたいという思いがありました。

全国フォーラムの実行委員長になろうと思った理由の一つでもあります。しかし、それが満たされず、時にふてくされたり、投げやりになったりしました。

 

まさか、こんな形で校内に貢献することになるとは思いもしなかったけれど、

このような役割を得られたのは、五年間の地道な行動があったからかな、とも思いました。

 

いずれにしても、しばらくはタブレットサポーターとして役割を担うことになりそうです。

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色々しゃべりたかったけど

今日は懇談会。

本当はもっとたくさん来てもらえたらよかったけど、

少なかったかなあ。自分の宣伝不足だったかな。もっとはやくから言うべきだったかな。来てくれた方がいるだけ有難いか。

色々しゃべりたいことがあって、それにむけて準備もしていたけど

なかなかうまくはいかんものだなあ。次の反省材料にしておこう。

 

今日は、子どもたちに英語の『学び合い』をはじめてやってみました。想定以上のよさ。久しぶり『学び合い』の原点に立ち戻った感じ。「分からないものは分からない!」「子どもたち同士で教えた方がわかる」それに気付けました。そりゃそうだ。急にいろんな表現がでてきてもわかるわけない。

 

 

 

 

変わらんとです

中学の同級生に会いました。

数少ない「会える同級生」です。

 

個人的には中学の関係はいっさいなくてもいいと思っています。

だから「会える同級生」というのは珍しいのです。

 

何のいい思い出もない中学校生活。

それなりに人間関係を築いていたと思いますが、

大人になって関係がほぼない、というのがその浅さを表していると思います。

 

確かに人間関係づくりは上手ではなかったと思います。

面白いことを言える人がクラスの人気者でしたが、私はそうでなかった。

ケンカが強い人は一目置かれていましたが、私はそうならなかった。争いは嫌いだった。

部活で活躍できるのは、体格とセンスがある強気な人で、私はすべて持ち合わせていなかった。

 

いわゆるスクールカーストの中では低い方にいたと思います。

 

でも、僕は一生懸命でした。

授業中、発表したいし、勉強したいし、テストで高得点をとりたい。

音楽の合唱コンクールは一生懸命やりたいし、いい賞をとりたい。

先生の話をしっかり聞いて、ついていきたい。

 

でも、授業中に発表したり、勉強を一生懸命してたら「調子乗っている」と言われ

合唱コンクールの練習をサボる連中に声をかけたら「うぜえ」と嘲笑われ

先生のバカにする話を散々聞かされて、やめろよと言ったら嫌がらせをうけ、

 

そんな周りが嫌いで怖かった。

できれば、こういう自分を話せる友達、理解してくれる人がいてほしかった。

 

思春期らしい悩みではありますが、

もしかしたら運が悪かった、と小学校の教師になって思います。

横のつながりを作れただろうに

僕が生かされるチャンスがあっただろうに

 

幸い、高校に進学して、新しい出会い、新しい自分になれ、

大学進学し、就職してからも、中学の時のような人間関係はありませんでした。

 

中学の時のように、

人をバカにしたりしない

一生懸命を否定しない

面白さやケンカの強さを求めない

 

これが僕にとっての「普通」になっていました。

でもそれは偏った「普通」だったんですね。

 

中学の同級生と会うと、あの時に戻ります。

変わらんとです。

そして嫌な気持ち、怖い気持ちを思い出します。

「それ以上、いうな。俺はそれが嫌いなんだ」

 

はーあ。

自分は安全地帯で過ごしていたのね。ずっと。

一歩踏み出せば、ジャングルだ。

中学時代はある意味それを知るいい機会だったかも

二度と戻りたくないかもね。

 

 

 

 

タブレット活用

教員一人一台のタブレット導入、すごい影響力。映像、画像、データ共有、できることが格段に増え、拡大印刷など今までしていた作業をしなくて良くなった。パソコンやスマホ扱うの慣れている方々はどんどん活用してるし、パソコン苦手な方々も周りに聞きながら、活用している。毎日、いろんな場所で「タブレット活用学び合い」が行われている。

 

黒板半分を使うスクリーンの張り替えが大変なので、常時貼り付けたままの先生は、黒板を使う授業を見直すだろう。今まで白黒の教科書使っていた学年はいいかげん、見直すことになるだろうか。消防士の白黒写真と消防士の映像、どっちが分かりやすいなんて、自明すぎる。

 

私自身というと、タブレットとプロジェクターの活用は以前から行っていたから、あんまり変化はない。子どもたちもそんなに驚きはなかった。少し変わった事といえば、社会科の授業の最初にNHKの映像を見せるようになったことかな。あとはいつものように『学び合い』国語や算数も。授業中の多くの時間は、映像や画像を見ない。見るのは自分自身か仲間だけ。だって学校に来てるんだから。

 

日常

家族が寝ている時間に出勤し、人の少ない職員室で仕事する。

 

子どもたちがやってきて

子どもたちと過ごす

時々笑い、

時々考えて

時々体を動かす

 

放課後、研修か会議やって

雑務やって退勤

 

いつもの時間に帰宅

息子が迎えてくれる

娘は元気

 

いつもの時間に食事をして

ウトウトして

子どもたちを風呂に入れて

寝かしつけをして

 

そのまま寝てしまうか

起きて妻と少ししゃべって

寝る

 

その繰り返し

 

 

でも、これがいいんだろうな。

日常

 

今日も行ってきます

 

おっと

久しぶりの出勤

ちょっと語りすぎたかな

でも聞いてくれてたな。

ありがとうございます。

 

別に私がプレッシャーをかけているわけじゃないのに、当たり前のように日々が過ぎていく。

 

すごいなぁ。

もうこんなクラスは持てないよなあ。

だからこそ、最後までチャレンジしよう。

 

 

ハムリーズから見える今

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ハムリーズっていうおもちゃ屋があるんですね。

初めてしりました。でも知らなかっただけで、イギリス発祥の有名なお店だったみたい。

 

お店の前で、店員の方々がマイクパフォーマンスをしたり、

店内でミニパレードをしたりしていました。

 

店内は、おもちゃを置いているだけでなくて、

ゲームコーナーや軽食コーナーもあり、

ちょっとしたテーマパークみたい。

 

Amazonなどの発達でお店に行かなくても欲しいものが買える時代。

実際に足を運んで、見て、楽しんで、買うができるように、工夫しているのかな、と思いました。ただ、おもちゃを置いている店だったら、

Amazonには敵わないでしょうからね。

 

そんな風に周りのお店を見ても、「見て、楽しんで、買う」を意識しているように思いました。時代の変化に合わせて、お店も変わっていっているでしょうね。

 

さて、教育は・・・

 

道徳セミナー

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こういうセミナーに行きました。

夏ごろに申し込みしたんだから月日が経つのははやいなぁ。模擬授業をうけまくって、授業づくりについて、刺激とアイデアをもらいました。まずはマネしてみようと思います。そして、それを勉強会仲間にシェアしよう。

 

【追記】


今日の授業提案は教師主導であり、
教師のアイデアや試行錯誤が求められる授業だった。だからこそ引きつけられ、「深い」と思える内容だった。教師としてそのような授業づくりを行うことは「研究と修養」にあたるのではないかと思う

時間がない。
余裕がない。

今の学校現場はそんな現実があるけれど、そればかり言ってしまえば、このような授業づくりは何も進まない。今日の模擬授業で扱われていたことは、私たちでも目にしたことのある「情報」が多かった。それらを「素材」としてを集めて、価値づけて、教材にする。

その過程は、「意識しているか、いないか」であり、余裕があれば時間があればいいことなんだろうけど、それを言い訳にしてはいけないな、と思った。

 

でもねえ・・・やっぱり思うわけですよ。

バランスが大事だって。

週に30コマ近く授業を行う小学校教師にとって、週一時間の道徳の授業にさける時間と余裕は本当にない。さて、そこに重点を置くのであれば、やっぱり優先順位をつけなければいけないよね。

 

そしてもっと大事なこと。

「ほんの数パーセントの子どもも置いてけぼりにしたくない」

それが今日の素晴らしい模擬授業たちが果たしてカバーできるのだろうか。先生の話がそもそも分からない子に、どうやって今日のような授業に参加させるのか。

 

やっぱり、そこをクリアにする考え方がいる、と思います。

 

おだやか

3学期が始まって一週間が過ぎました。

あっという間でしたが、とても「おだやか」な日々でした。

 

毎日、当たり前のように授業ができて、

当たり前のように学校来て、

時々笑って、時々遊んで

 

学校なんだから

トラブルが起こってもおかしくないし、

悩みがあってもおかしくないのに、

毎日「おだやか」でした。

 

行事がなくて

研究ごとがなくて

大きな問題がなかったら

こんなに「おだやか」に毎日が過ぎるのね

 

多くの学校で

多くの教室で

トラブルが起きて

問題があって

疲弊している人もいるはずなのに

 

そんなことを忘れてしまいます。

そういう方に申し訳ないですが、

私はこの「おだやか」な日々をしばらく過ごしたいと思います。

 

 

子どもたちのおかげです。

保護者の方のおかげです。

偉そうなことを言えば

4月からの学級経営が生きてきたかな。やっと。

 

そんなことを思っていると一年が終わる。

あと少しでも、できることを。

あと少しでも、子どもたちから学べることを。

 

 

今日の道徳の授業はとても学びが多かった。

「不満と感謝」は共存していて、「感謝」があるからこそ「不満」もバランスが取れる。「不満」も意識してみると意外と小さなことだったりするし、気付いていない「感謝」に気づくこともある。子どもたちも子どもたちになりに人間やってるんだよなあ、と思いました。

 

さあ、3連休。

あんまり楽しみはないんだけど、楽しもう。

「感謝」のバーゲンセール

「感謝」という言葉を聞くことが多くなったな、と思います。

 

芸能人、スポーツ選手、企業・・・様々な人たちが「感謝」を口にします。地下鉄に乗っているとパチンコ店の広告に「感謝」の文字が。

街を歩いていると「お客様感謝デー」とある。

 

感謝、感謝、感謝・・・

 

みんな「感謝」ばっかり。

そんなに「感謝」したいの?

そんなに「感謝」しているの?

 

先日テレビを見ていたら、スポーツに励む高校生がインタビューを受けている中で、

「支えてくれた人たちに感謝の気持ちを持ってプレーします」と言っていました。

 

いったい誰のためにプレーしているのだろう・・・「自分たちのため」って言ったらいけないのかな。

 

年始の番組で、小学生が、「親に感謝する一年間にします」と言っていました。

 

親に感謝。

でも、本当にそう思っているのだろうか。

そう言えば、喜んでもらえると思っているのではないか。

 

「感謝」という言葉があまりにも増えすぎて、その言葉を聞くたびに「キナ臭さ」を感じます。だいたい「感謝」なんて、そんな簡単にできることじゃないと思うし、感謝感謝言っておきながら感謝の言葉や態度を本当に表しているか疑問です。たいていの人は自分のことしか考えてないでしょ、って思います。

 

このバーゲンセールともいえる「感謝」

学校でもよく聞くようになりました。

全校集会や卒業式などで校長をはじめとした、

全体に話す人が「感謝」の言葉をよく使うようになったと思います。でも私はひねくれているので、そういう言葉を聞くたびに「どうやって感謝の気持ちをあらわすんだろうね」なんて思ってしまいます。

 

確かに、「感謝」の言葉をもらえたら嬉しいですよ。子どもたちのために一生懸命仕事して、授業して、クラスをつくって「ありがとうございました」とか「先生のおかげで」とか言われたらやっぱり嬉しい。手がかかった子が最後に「お世話になりました」という一言があったら「まあいいか」と思います。以前の学校から異動する時もたくさんの手紙をもらってすごく嬉しかったです。

 

でも、そんな「感謝」をもらうためにやっているわけじゃないし、してほしいと思っていません。あればラッキーくらいにしか思ってません。子どもたちのために、が仕事ですから。感謝のためにやってません。

 

明日は道徳の教科書を使って学習をします。事前に題材を読んだら、「感謝」がテーマのようです。しかも偏った。もう道徳の教科書にはうんざりですが、この題材をどういかすかは教師次第ですね。

 

感謝の気持ちが薄れているから、授業で扱うのか。感謝の気持ちを教えるべきだから、授業で教えるのか。

 

いろいろ考えます。

 

感謝感謝と言っているわりに、感謝の言葉も気持ちもなくなっているのでしょうか。もしくは「感謝」の言葉だけ一人歩きして、実は本当の感謝の気持ちが薄れてしまっているのでしょうか。はっきりしたことはわかりません。

 

通信表をもらうときは一言「ありがとうございました」って言うといいよ。

何かをしてもらう時は「お願いします」「ありがとうございます」って言うんだよ。何かの折に「お世話になりました」って言うといいよ。

 

そんなことまで言わないといけないのか、と思うこともありますが、人とよりよい関係を築くために、「感謝」の言葉を使うことを教えています。でもバーゲンセールをするつもりはありません。

 

明日は「感謝」を疑った授業をしようと思います。