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習熟度別とか能力別とか

そろそろ多くの学校でプール学習がはじまっていると思います。

 

私は高学年担任なので、「水泳」なのですが、今年度も「コース別学習」を行うことになりました。

「コース別学習」とは、それぞれの課題や能力に応じてコースを変えて、学習を行うもので、プールでいったら「半分くらいを目標にするコース」「25mを目標にするコース」「25mのタイムを目標にするコース」とだいたい3コースくらいに分けます。

 

私は今までいろいろな学年を担任してきて、1年生以外はこのコース別学習を学年で行ってきました。

特別違和感を感じなかったと思います。子どもたちは自分の課題や能力に合わせて学習するので、指導も「しやすい」と思っていました。

 

しかし、最近「これでいいのか」という思いもよぎるようになりました。

コースは大雑把にわけて3コースに分けていますが、そのコースの中でも子どもたちの課題は違います。

例えば、クロールなのか平泳ぎなのか。

平泳ぎだったら、腕の動きなのか、足なのか、体全体の伸びなのか、一人ひとり課題が違います。

一人で30人近くを見るのであれば、一人ひとりの課題を瞬時に見抜いてアドバイスする必要がありますが、

声をかけるだけですぐに改善するとは思えません。やはり、近くで声をかけて、動作を確認しながら、教えていかないとうまくいかないでしょう。

 

そんなことを指導しながら感じていました。「一人で、一人一人の課題に合わせた指導をするのは不可能だ」と。そして何より、子どもたち同士の交流がいっさいない。「泳げる子」「少し泳げる子」「泳げない子」のカテゴリにわけて、それぞれの課題への理解や解決もない。『学び合い』を実践している身としては、何のための学校なのか、泳げるようにするための学校なのか・・・と思ってしまいます。

 

さて、同じように学校では「習熟度別授業」があります。

例えば、学年を3分割して、それぞれの課題や能力に合わせて授業をする、というものです。

これもまた、プールと同じだと思います。

子どもたちの課題や能力は一人一人違うので、それぞれの課題に合わせた学習を数名の教師で行うのははっきり言って無理です。また、子どもたちの中で「格差」がうまれるだけです。もちろん、子どもたちの中にはそんなものはないのかもしれませんが、少なくとも「算数が分からない」という子への関わりが絶たれます。「算数が得意」という子との交流も絶たれます。

 

私はやはり、公立学校こそいろんな子がいるからいいんだと思います。習熟度別のように区別していけば、学び合う、助け合う必然性がありません。多様な人たちがいる社会に出て行く子どもたちは、学校で過ごす間に、いろんな人がいて、お互いに課題や能力は違って、それを補い合ったり、助け合ったりしていく、という経験をしていくべきだと、思います。

 

苫野先生のいう

自由の相互承認の実質化ではないかとも思います。