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作家の時間

 

 この本を読みました。

(ざっと読んだになるかもしれないけど)

 

ひとまず分かったことが二つ。

 

・「書く」ことを通じて、子どもたちを育てていく実践。

・教科書の「作文」の教材を使わずに行う実践。

 

 

今の私が感じたことは

 

・おもしろそう。楽しみながら「書く」ことが一番。そのためのエッセンスがたくさん。

・「書く」こともだけど、教師や周りの子どもたちが「どう関わるか」に重点がおかれている。「書く」ことはその一つであって、日常的に教師と周りがどう関わるかが求められる。単純な「書く」ための実践ではなく、子どもたちを育てていく一つの実践だと思う。

 

懸念されること

・教科書の作文教材に変えて、これをやるエネルギーがない。

管理職、保護者、同学年に説明するのにはエネルギーがいる。『学び合い』や宿題の自学化でもかなりエネルギーを要した。他と違うことをするには、エネルギーが必要。現在の学校教育では、「教科書を終える」「教科書で教える」がスタンダード。それを「しない」のであれば、説明が必要だろう。できないことはないけれど、学校行事、その他の教科、生徒指導・・・果たして余裕のない中で、できるものか。

 

とはいえ、これは『学び合い』をしない人の言い訳と同じ。

できない理由を挙げてもキリがない。

ならば、どう現状と折り合いをつけて、取り組むか。

 

「教科書を早く終わらせて取り組む」

 

「学期末の復習」という形で行えば誰も文句は言わないだろう。

漢字のプリントを何度もするより、こちらの方が断然楽しい。

「国語」の復習ってどうも「漢字」になりがち。

もっとアクティブな時間にしたら、子どもたちもバリバリ学ぶだろう。

 

さて、来週は時間に余裕がある。

この実践を少し試してみる時間と余裕は十分にある。

 

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ちょっと愚痴。

こういう実践の方が大事だよ。

教科書の内容をただやるよりはさ。

「子どもたちをどう育てるか」「教師や周りがどう関わるか」が念頭にあるから。

学校教育は根本的に変わらないといけないよね。

まあ、自分も未だに「教科書の呪縛」から離れられていないんだけど。

これからもっとその傾向は強まるだろうな。

教師や子どもの創造性なんて全然生かされず、

ただひたすら、教科書をこなしていくだけになる学校教育。

さて、どうバランスをとっていくか。

まずは自分がこういう実践を人に説明できるくらいにならないと。