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しょせん道具

全教室にプロジェクターが設置され、教師一人一台のタブレットPCが渡されるようになりました。1月から使用が許可され、来年度から教科書が変わる際に本格導入です。この取り組みが他の自治体に比べて遅いのか早いのか、質が高いのか低いのか分かりませんが(誰か教えてください)学校全体で今までにないほどの変化があるように思います。

 

タブレットを活用したら授業が一変するでしょう。
タブレット端末は、某映像コンテンツが使えます。今まではパソコン教室のみでしか見ることができなかったため、教室の移動とその他の学習のしづらさから敬遠されがちでしたが、教室で手軽に見ることができます。

例えば、社会科の米作りの過程や自動車の製造過程を知るために、今までは、教科書の図や写真を見て学習することが多かったのですが、映像を見て学ぶことができます。やはり、映像の分かりやすさは抜群です。子どもたちの様子を見ていても分かります。

 

算数の授業で立体図形の仕組みを知るために動画を見ればいい。
体育の授業で鉄棒の手本をしなくても、動画を見ればいい。
図工の扱う道具の使い方は、動画を見ればいい。
家庭科の裁縫も調理も、すべて動画でいい。
英語の発音はすべて画面でピッとすればいい。

 

ずっと前からこんな動画コンテンツあったのに、ハード面と情報セキュリティの制約が多すぎて、なかなか活用できませんでした。これらの制約がなくなった今、黒板に印刷した写真をはって、チョークを使って板書し、子どもたちに縮小した写真を配ってノートに貼らせてまとめるなんてことはしなくてよくなります。映像を見ればいい。わからなければ、何度も。

 

音楽の授業で、CDをかけて音楽を聴いたりすることは必要なくなります。全部プロジェクターから流れます。音が止まったり、CDの番号をカチカチ動かしたり、巻き戻しができなかったり・・・なんてことがなくなります。やっと。(機械自体はBluetoothとかmp3とか使えるのに誰も使ってこなかった。ずっとCD・・・)

 

「教科書の何行目を見て」とか「ここの答えは◯◯です」とか
いう指示もプロジェクターに教科書やプリントを写して説明したらよくなるのです。「ちゃんと聞け」なんて言わなくても「前の画面みて、真似してね」で済みます。言葉による指示の難しさは1年生を担任したことのある方ならよくわかるでしょう。「名前書いてね」といったら「なまえ」と書く子がいる世界です。

 

6年前にiPadを手に入れた時から、ICTを活用すべきだと思い、ルールの範囲内で、自分なりに活用してきました。いよいよタブレッド本格活用で、「やっとか」という思いと「本当に周りはこの変化についてこれるのか」という気にもなりました。

 

普段使用している黒板の半分をプロジェクターの画面の投影に使うのですから、黒板を前面に使う授業が基本ではなくなります。
研究授業で「板書計画」とか書く欄があるけど、根本から覆されることになります。正当に。どうなるのでしょうか。私はもともと黒板全面を使う授業はほとんどしていないので、スクリーンがあることは全然問題ないのですが、ずっとチョーク&トークだった先生たちはどうなるのでしょうか。もうあと3か月です。「機械苦手だから」で済むのでしょうか。隣のクラスはバンバン映像を見て、自分のクラスはいつまでもチョーク。子どもと保護者の不満が教師に向きそうです。

 

今月中に、私が校内でタブレット活用の研修をすることになりました。正直、この研修はチャンスでもあり、責任が伴うだろうな、と思います。先生たちがタブレットを上手に活用すれば、
授業自体が大きく変わるでしょう。仕事の効率化には間違いなくなると思います。(今までなんて無駄なことをしていたんだろうと思わないといけない)また、使い方を学ぶためや活用のアイデアを出し合う学び合いを起こすきっかけにもなります。上にも書いた教師間のタブレットの活用比較も少しは緩和されるでしょう。

 

 

でも・・・。ここまで長く書いたのに、最後に言いたいことは、タブレットなんてのはしょせん道具だってこと。

どんなにタブレット活用しても、映像をバンバン見せても、子ども同士の人間関係はよくならない。おそらく今の学校って、授業の分かりやすさよりも、子どもたちの人間関係の方が重要課題でしょう。タブレットによって授業が変わって、仕事の効率化した先に、「教師の仕事は」「子どもたちの学びは」「学校は」を問い直す時期に来たんだろうな、と思います。いや、来てもらわないと困る。本当に。