子どもたちが学校に来る理由ってまず「友達に会える」だったんじゃないか。
つまらない授業、勉強でも、やり過ごしさえすれば友達と一緒に話す時間がある。
一方で友達とうまくいかなかったり、友達ができなかったら学校に行くのはしんどい。
もちろん、勉強したいから、行かなけりゃいけないからって子もいるはず。
友達がいなくても、別にいいって思っている子もいる。
でもやっぱり今までのことを思い出すと、友達がいなくていいって子はいない。
口では言っててもやっぱり友達がいた方がいいって思っていたと思う。
自分のことを分かってくれて、たわいのない話ができる子が一人でもいたら、学校に来たくなるだろう。友達をつくることは目的ではないけれど、『学び合い』を通じて、友達になった子も結構いたと思う。『学び合い』の授業を通じて色々なことを語ってきたし、課題どうするかとかばかり考えてきたけど、子どもたちにとっては「友達と一緒に学ぶ」「友達ができる」「友達が増える」ってことはとても大事だったんだろうな。そういえば、そういうことを言っていた子はたくさんいたけど、『学び合い』を続けていくにつれ、あんまり重要視してなかった。
そういえば一年生の子が言ってた。
「まなびあいってともだちができるおべんきょうだね」
やっぱり子どもたちにとって「友達」って大事なんだよな。今更だけど。
さて、自分はこれからどうやって『学び合い』をしようとかと考えていた。
オンライン上で、制限のある学校でどうやって『学び合い』をしようかと考えていた。
Zoomを使った『学び合い』が難しいなら、どんなオンライン授業あるのよって考えていた。
いや、オンラインにすらなってないよ・・・モヤモヤ
いや、もうその試行錯誤はまだ全然先の話だ。子どもたちが求めているのは、そんなことじゃいよなって、ここ数日で気づいた。子どもたちが求めていることは、友達に会えること。もしかしたら先生も。
今、子どもたちが今、制限されているのは、学びの保証でもなく、『学び合い』でもなく、「友達と会って話すこと」じゃないだろうか。もしかしたら、マンション内でとか、ネットを通じてとかできている子もいるかもしれないけど、限定的で、すべてではないはず。
育休になる前、予習に復習に自学に、バリバリ学ぶ子の保護者と話す機会があって、
「どうしていますか」と聞くと
「いろんな教材を勧めたけど、全然やる気が起きないみたいです」と言っていた。
びっくりした。
その時は、まあ家にいたらそうだろうな、と思っていたけど、今だからこそ思う。
その子の学びの原動力は学校であり、友達であり先生だったんだろう、と思う。
オンラインの授業動画を制作しているという情報得て、「そうじゃない」と思った理由はこれか。オンライン授業であれこれツールを使っている情報を目にして「そうじゃない」って思った理由はそこか。そして、子どもが求めているのは、「そうじゃない」
いやまずそもそも子どもたちに聞いていない。「君たちはどうしたい?って」
だからいろんな学校の先生たちが授業動画をせっせと作っているわけか。
「子どもたちのために」と。今まで学校で教室でごまかしてきたかもしれないけど、オンラインならごまかせないよ。毎日が授業参観みたいなもんだ。内容だって、言葉遣いだって、全部神経使わないといけない。そして反応もない。ある学校の授業動画みたけど、唖然としたよ。
僕はこんな動画アップしたくもない。
でもこれって結局学校の延長線上に来ているんだろうな。学習者主体ではない、教育活動が行われてきたツケ。残念ながら、オンラインでは「強制」できない。学習者側に選ぶ権利がある。適当に動画を流し見して適当に課題を返す姿が容易に想像つく。何にもならない。
それだったらオンラインでおしゃべりしいた方が、ずっといい。
顔を合わせてたわいもない話をするだけの方が、ずっといい。
こっちの方が子どもたちが求めているだと思う。
もうオンライン授業のことを知ること、向かうことに力を入れるのはやめた。
子どもたちが一番求めていることに力を入れよう。子どもたちの声を聞こう。
結局学校でやってきたことと同じなんだけどね。