教師の責任
テストをして理解できていないところが多いのは、教師の責任だし、授業になんらかの原因がある。
子どもが話を聞かない、理解できていないのは、教師の話し方や伝え方の問題や、今までの指導の積み重ねの結果であり、教師(たち)に原因がある。
ただ、学習内容が理解できていない ことや
教師の話を理解できない ことは、
一人の教師ができることを超えていることだし、だいたいそんなことできやしないって
ことを、『学び合い』を実践することで思い知った。
だから、子どもたち同士の関わりや支えによって、教師一人ではできない、学習内容や教師の話の理解をフォローしてもらう。
「ねえ、これってどういうこと?」
「あ、そういうことだったのね」
このような話の中で、教師の話や授業の内容を理解していく。
あくまで、教師の話は全体の何割かが理解できればいい。
そう思えば、いくぶんか、肩の力が抜けるような気がした。
昨年までは、それでよかった。
いや、それに甘えていたのかもしれない。
改めて、教師一人の力で授業を進めざるを得なくなった時、上記のことに気づいた。
そして、最大限努力をしているものの、為すすべがないことに落ち込んでいる。
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余談だけど、こんなことを感じている人はそう多くないように思う。
「子どものせい」「環境のせい」にしたり、
そもそも「子どもが理解する」ことを大事にしてなかったりしたら
こんなことも気にならない。
いったい何のためにやっているか分からない、結果も出ない「授業研」のことを考えると
ため息しかでないけど、明日も元気にすごそう。それしかないや。