教師の影響力
3学期。
学級のカラーもずいぶん出てくる頃だろう。
小学校は学級担任制だからこそ、その色合いも濃いし、様々。
今年度はじめて、「自分のクラス」というものがなく、授業のみで、よそのクラスに「おじゃまする」ような形で、関わることになった。
おかげで、今までに経験することができなかった、自分以外の学級のカラーを知ることになった。
分かったことは2つ。
良くも悪くも教師の影響力は大きいこと。
自分がどんな学級づくりを目指してきたか、ということ。
教師の影響力の大きさというのは、子どもの行動でものすごくよく分かる。
時間を守るクラスとそうでないクラス。
教師の指示が通るクラスとそうでないクラス。
質問が多いクラスと自分たちで考えるクラス。
整然としているクラスとゆるいクラス。
教師が何をよしとして、何をダメというか、その違いが大きな差となって現れる。
そして、「あれ?」と思うところが、おそらく
僕が大事にしてきたところだ。
あれ?時間守らないの?
あれ?何で自由にしているの?
あれ?何で教室片付いてないの?
もちろん、僕が「あれ?」と思うところが
「絶対」というわけではない、ということもわかった。僕が今まで気にしすぎてただけで、案外クラスは成り立っているし、案外そっちの方が心地よい子もいるだろう。
自分自身も、「お邪魔」している分、そんなに本気になる必要もなく、気にはなるけど様子をみる、という行動もできるようになった。本当、今までどれだけアンテナを高くしてたんだろ、って。
言うなれば教師が手を抜けば、子どもも手を抜くし、教師が求めれば子どもは伸びる。教師が認めれば、それが正義にも行動規範にもなるし、教師が認めなければ埋もれていく。
教師の影響力は思っていたより大きい。
そして、僕の求めるレベルはかなり高い。
下を見ればいくらでも見れるし、それによって威張ったって何にもならない。ただ、わからない人には分からないし、分かる人には分かる。
そういうことだ。
いいかどうかの基準は目の前の子たち。
あと保護者。分かる子はわかるし、分かる親は分かる。