校内研究授業の泥沼化
小学校一年生の国語の教材に「じどう車くらべ」というものがあります(今もあるのかな?)
この教材を使った国語の校内研究授業を何度か見たことがあったのですが、毎度
泥沼にはまってるな、これ
と感じていました。
校内の研究授業って、先生たちは結構頑張って準備をするわけですよね。
僕なんて「無意味だ」と思うことはやりたくない人間なので、いくら「建前」であってもやりたくない。子どもたちが学んできた「あしあと」を模造紙に丁寧に書いて貼ったり、学習してきたプリントをしっかり目を通してコメントを書いたり、「○○スキル」なるものを用いてみたり・・・意味ないから、やりたくない。
あのさ、この文章、様々な自動車の「しごと」と「つくり」をそれぞれ分けて説明している文章で、それが分かればいいのに、なんでここまでするの?この模造紙いったい何人が見るの?
そんなことを思うわけです。しまいにはクレーン車のおもちゃが登場したり・・・もう国語じゃないじゃんって。
でも、そういう「意味ないなー」「時間かけすぎだー」「国語の授業から離れてらー」
みたいなのを指摘しちゃうと、まあ完全に「痛い人」になっちゃうんですよね。
「なんでこんなに頑張って準備しているのに、批判するの、信じられない!」みたいに。
「いやいや、研究授業ってそういうものでしょ、大事なことは子どもがどう学んでいるのか、この授業で何が身についたのか、じゃないの。先生の頑張りとか関係ないじゃん」って思うのですが、さすがに言えません。
で、協議会で出てくるのは
「この掲示物はー」「この板書はー」「実物はー」
すばらしい!
という称賛。
いや、そうも言いたくなるのは分かります。本当に時間かけて、頑張っているのは分かりますから。そりゃあ労いの言葉もかけたくなりますよ、普通なら。
ただですね、この風習が結局、校内研究授業をどんどん泥沼化させていくわけです。
「頑張り」が大事で、肝心の授業に対する冷静な分析がない。
あっちむいている子は?
全然わかっていない子は?
いつの間にかそういう子たちのことは見えなくなっている。
完全に目的を見失っているわけですね。
こういうことって学校で、先生たちの中でたくさんあります。
で、結局仕事を膨大にしているわけです。
悪意があるわけではないのはわかっていますが、もういいかげんこの負の連鎖を立ちきららないといけないと思うんですよね。
というわけで、我が子の遊んでいたクレーン車でこんなことを思い出したおに先生でした。