自分の人生〜育休時代〜
僕は昨年度、育児休業を取得しました。
たった3ヶ月でしたが、仕事から離れ、教師という立場から離れるというのは、
とてもいい機会でした。
育児休業の目的は「育児に専念する」ことだと思いますが、
元々、育児と仕事の両立をそこそこしていた自分にとっては、
「育児に専念」よりも「仕事から離れる」ことの方が自分のためになったと思います。
「仕事から離れる」こと、「教師という立場から離れる」ことで、
今までの自分が何を大事にしてきたか、見直すきっかけになりました。
僕にとって「教師の仕事」は、生活のため、家族を養うために働いている部分と
自分の自己実現のためであることが分かりました。
前者はお給料を頂く、ということですが
後者は、子どものため、保護者のため、同僚のため・・・誰かのために自分の力を発揮し、
貢献することが自分にとっての自己実現、「自分らしくいる」ことだったんだと思います。
「自分らしくいる」というのは他にもあって、何かに一生懸命になる、感動する、知的な喜びがあるなどもあると思います。総じて、「教師」という仕事は私にとっての「自分らしくいる」ことが多く含まれている職業で、お給料をいただきながら「自分らしくいられる」なんとも理想的な仕事だろうなと思います。
ただ「自分らしくいる」ことは教師でなくてもできる、ということも教師の仕事から離れて気づきました。家族と過ごす中で得られる、ちょっとした感動、喜び、発見をはじめ、インターネットや本、あるいは様々な業種の方との出会いから得られることは、僕に取っては「自分らしくいられる」ことでもあったようです。だから、働いてなくても、教師でなくても、3ヶ月の間、充実して過ごしていました。
ただちょうどその時、コロナの影響で外出自粛となり、学校も休校。
将来の不安と自由さがなくなった時期であったため、「この状況を少しでも打開せねば」という気持ちでもいたので、結局「教師の仕事」から離れきっていなかったと思います。すなわち僕は「現状を打破する」ということも「自分らしく」なんだろうな、と思います。これはずっと願っていた「学校をよりよくしたい」という気持ちにつながっていると思います。
学校の状況がどんどん過酷になっていることを知るにつけ、自分が学校に戻った際、
本当にやっていけるか不安になります。一方で育休時代に得た「自分らしく生きる」は教師でなくてもできるという発見は、「「自分らしく」をすべて失う必要はない」という考え方につながっているので、いざとなれば教師の仕事に未練なく離れることができるのではないかと思います。
ただ、生活のため、家族のためにお給料は得ないといけませんから、それだけに集中して過ごすのもありかな、と思います。おそらく、そうはいかないんでしょうけど。
いずれにしても、自分の人生なんだから、自分でよりよくしていくべきだと思います。
あれが悪い、これが悪いじゃなくて、自分にとって何が大事なのか。それさえ守れていれば
あとは肩の力を抜いていいじゃん、とも思っています。